卒業の季節、 ”屋久島の深い静かな森の塾”をあらためて思う
屋久島は春の日差しに満たされている。
一方で、ニュースでは東京は雨が降り寒く凍えているのだが、この寒波が過ぎると一気に桜も開花し春を迎えるのであろう。
先週は、大学院のExecutive Programの修了式があり、院生の学位授与式があった。
一年で、一番ほっとすると共に嬉しくも寂しい季節である。
この季節、一体、僕は何をやっているのだろう
と思い悩むことがある。
一方で、十分幸せでこれ以上何を望むのか?
まだ、足るを知るの心境に至らないのかと思うこともある。
結局、人は生きている限り、悟ったと思っても暫くするもっと良い生き方があるのではないかと考え出し、明日はもっとよく生きようと思っている限り物欲や名誉欲などからは脱することはできたとしても、良く生きたいという欲からは逃れられないのではないかと思う。
そして、自分とは何者なのか?
何のために生きるのか?
を共に考え、生きる糧にしようと
塾という名の集まりを始めたわけである。
一方で、書いた文書に対する課題に対して反応がなかったり、そもそも読んでくれていないのではないかと感じることがあり果たして塾をやっている意味があるのかと考える時もある。
そんな時に、塾生から、
「典さんのnoteは、時にはガツンと頭を叩かれたり、時には涙が出るほどの勇気をもらったり…まさに自分の生き方を考えさせられるきっかけになるものでした。」とメールを頂いた。
そして、「黒ひげ塾設立の文書の中の『小さな炎でも、燃やし続けることが大切で、自らを励まし、時には人から感動をもらいながら足掻く…』が心に刺さりました。」とあった。
とても救われた気がした。
たった一人でも読んでくれて感じて考えて、
実際に何か生きるための一歩を踏み出す一助になるのであれば、僕は、精一杯、思いを書き、時には直接会って語ったり飲みに行ったりとこの集まり続けていきたいと心を新たにしたのである。
さて、そこで長くなるかも知れないが、原点に戻って塾の設立の際に考えたことを、改めてお伝えしたいと思う。
事業構想大学院の修業生が中心となってのつながりであるが、共に考えたり学んだり語りたい人がいたら声をかけてもらいたい。共に緩い繋がりながらも真剣に語り学び遊びながら歩めればと思っている。
2024年3月26日
屋久島の深い静かな森の塾
【森の黒ひげ塾】
知と心を磨き、生きることを考える森
森の黒ひげ塾は、そこに、仲間が集まり共に語り考え刺激を与え合い、時には癒されながらも、前に一歩進もうと言う知と心を養う場所です。時には、後退することもあるかも知れません。打ちのめされる時もあるかも知れません。そんな時こそ仲間の姿を見ながら、励まされ癒されて生きていく力を感じるところでありたいと思います。
人は何のために生きるのか?自分は何者なのか?と言うのは、一生かかってもなかなか解けない問いです。私は、学生のモラトリアルの時代からずっと暗中模索していた様に思えます。一度は解けても、転機には同じ問いかけが心の中で起きてきます。情報が溢れてさまざまな選択がある時代だからこそ、そして前向きに生きようとすればするほど、歳を取ってももがくことになります。そんな問いをみなさんで解いていければと思っています。
屋久島の深い静かな森の塾「森の黒ひげ塾」の名称について
屋久島に戻って来ると、心がとても落ち着きます。涼やかな風の中、空気がとても濃くて水が驚くほど美味しいのです。メイが、帰るたびにとても静かなところがいいと一緒に海辺や森を走りながら言います。
春には、野苺を詰みながら萌え上がる緑に命を感じ、夏には、川や海で水遊びをし、秋には、山に登り山海の実りを味わい、冬には、祭りと寒さを楽しみながら渡り鳥と語らい春を待つ。
そんなところで、みなさんとは、昼は、山に登ったり、釣りに行ったり、庭仕事をしたりと大いに遊び働き、夜は、焚き火を囲んで、星を眺めながら、様々な事象について考え、語り合いたいという思いがあります。そこでは、皆が素直な気持ちを語り、心に火を灯して、ワクワクドキドキする明日を生きる気持ちが湧き出すのです。
静かな森の中で焚き火を囲みながら語らうことをイメージして、塾の名称は長いですが、「屋久島の深い静かな森の塾」としました。また、略称を「森の黒ひげ塾」としたいと思います。敢えて早川塾ではなくて、森の黒ひげ塾としたのは、もし私がいなくなっても、焚き火の火を消さない様に、みんなで繋いでいって欲しいとの思いからなのです。
入塾について
「来るものは拒まず、去る者は追わず」が、森の黒ひげ塾の基本です。但し、入塾の条件として次の3つを基本としたいと考えています。入塾にあたり、塾のあり方を理解してもらった上で、なぜこの塾に入りたいのかの動機は一人一人から伺いたいと思っています。
①素直な心、
この塾の中では、すべてが平等で、社会的な地位やお金の多寡は関係ありません。相手をお互いに尊重し、耳を傾け、様々な視点からの議論を楽しむ場であります。私自身も、みなさんの師であるかも知れませんが、共に学ぶ一人の塾生でもあるのです。
学ぶと言うことは、先ず一度自分の持っているものを捨てて、聞くと言うことから始めると良いのでしょう。今まで、生きてきて自分の価値観やこだわりもあると思います。だからこそ、素直な気持ちになって、話を聞く、話を咀嚼し理解する、そして取捨選択をするということが大切な様に思えます。院生の中で、自説に拘るがあまり、耳を貸さず常に言い訳や反駁をする、聞いているふりをして結局何も身につけることがない人が時折います。その様な人に対峙すると、お互いが悲しくなるものです。
子供の頃に戻り、素直な気持ちで、語り合えると多くを感じ、嬉しくなるものです。
②真摯で誠実な心
森の黒ひげ塾は学びの場であり、友達同士の集まりやサークルではありません。真摯に学び、時には共に一所懸命遊ぶ場であり、本気で挑むと言う姿勢が必要です。そして、学びも遊びも真剣にやらないとおもしろくなりません。但し、本気と言っても、肩の力を抜いて、心の中で今の自分でできることをやると言う心構えを持って欲しいと思います。また、誠実とは、人に対して誠実だけではなく、自分の心にも誠実であって欲しいと思っています。もし、これは違うのではないかと思った時は、躊躇わず、自分の素直な気持ちをみんなに伝えてください。
③諦めず挑戦する心
情熱と言うと、燃え盛る炎を想像しがちですが、歳をとるに従い、その炎も小さくなっていき、ともすれば、消えかけているのかも知れません。しかし、小さな炎でも、燃やし続けることが大切で、自らを励まし、時には人から感動をもらいながら足掻く様なものでしょう。今年、還暦を迎える私にとっても、時には放り出してしまいたい、辞めてしまいたいと思うことがあります。そんな時でも、講義に立つと不思議に元気が沸いてきてみなさんと話すことができます。過酷なトレイルのレースのスタートの場に立つと、それまでの心配や悩みが晴れて勇気が湧いてきます。走っている途中は、なんでこんなレースに出たのだろうと思いながらも、ゴールにたどり着くと、じんわりと暖かく幸せな気持ちに包まれます。小さいことでも良いので、常に自分を顧みて、挑戦者の気持ちでいて欲しいと思っています。一般に、成功者として落ち着いてしまった瞬間、人の不幸は始まります。どんな時でも、それは、苦しい時でも、そして、うまく行った時こそ余計に、挑戦する心を持って欲しいと思います。
2022年2月23日 屋久島の深く静かな森の塾より
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