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判断基準

今ならおそらくやらないだろうなーということを、昔は思い切ってやってみた、みたいなことが思い返すとある。

結果、良かったことも悪かったこともある。

今やらないだろうなーということについては、経験からそう思うのだろう。だけど、その経験を得るために、思い切ってやってみた過去があったからこそなんだけど。

とはいえ、周りの情報、聞きかじった情報、ニュースや世間体から、今やらないだろうなーということは、あのとき、そんな声を無視して(知らずに)飛び込んでよかった、というのもある。

その判断は、未熟ではあったけれども、よかった!

その判断は、未熟さ故の過ちで、後悔している!

どちらもあると思う。

何にせよ、結果は後からしか測れないので、今の判断が正しいか正しくないかというのは、わからないものだ。

だから、選択の基準と、その結果をどう次につなげていくのかが、大事なんだと思う。

昔、古文の時間に習ったエピソードに、

「倒るる所に土をつかむ」というものがある。

落馬して穴に落ちた偉い人を付き人が籠で引っ張り上げようとしたところ、その人ではなく、たくさんの穴に生えてたキノコを籠にいれて寄越したそうな。穴に落ちてもタダでは帰るな、というようなこと。

あと、「人生万事塞翁が馬」というのも覚えている。

塞翁さんの馬が、逃げて残念だと思ってたら、(途中略)息子が戦争に行かなくて済んでよかったね、という話。人生で、いいことと悪いことは交互にやってくるから、喜びすぎてもだめだし、悲しみすぎてもだめだよ、ということかな。

ならば、悪いときに、タダで起きずに、キノコとってきたら最強じゃない?

まとめると(笑)

いろんな選択があって、今思うと、良かったり悪かったりするし、今後も、今の選択が良かったね、悪かったねってなると思う。

だから、悪かった選択も、その中から、なにか得るもの(経験)があれば、それも良しということになるんじゃないかな!

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