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同級生

同級生がミュージシャンになっていたことがこの間わかった(私調べ)。すごくうれしい。

私たちはとても田舎の辺鄙な場所で育ち、小学生の時に同じクラスだった。そして同じピアノ教室に通っていた。
教会の横にある、元幼稚園の古い建物で中年の女の先生が教えていた。
(あのような田舎町にヤマハ音楽教室があったことは今考えるとちょっと奇跡のような気もしないでもない。先生は隣町から旦那さんの送り迎えで通っていた。たくさんのクラス、個人レッスンを全部ひとりでみていた。有難い。)
待ち時間は幼稚園の備品だった古い「こどものとも」を読んで待っていたりした。

私は練習もしない、センスもないダメダメ生徒だったが幼稚園から中2くらいまでズルズルと習っていた。当時男の子の生徒は少なくて、彼はお兄さんとお姉さんと通っていたと思う。3人ともピアノがとても上手で、彼は「ブルグミュラーの25の練習曲」を小4くらいでスラスラと器用に全部弾きこなしていた。ああすごいなーかなわないなーと思っていた。

そして彼は絵や工作も上手だった。小5のときに学芸会で「黄金のカップラーメン」という、みんなで作った劇をやったのだが、そこに登場させた「抜作(先生)の女神」を見事に模造紙に描いた。2m以上の大作でとても素晴らしい出来だったと思う。
※抜作先生…週刊少年ジャンプに掲載されていたギャグ漫画「ついでにとんちんかん」に登場するキャラクター。

彼とは家も近くなかったし、そんなに交流があったわけでもないけど、一度だけ家に遊びに行ったことがあった。なぜか大人数でサイクリングをするのが流行った時期があり、他学年も巻き込んでいろんなところに行った(小学生なので主に友達の家などだが)。そのひとつが彼の家でかなりの大人数で彼の家にお邪魔した。

平日の放課後だったと思う。彼のご両親は仕事で不在で、お家にはおばあちゃんがいて、油絵を描いていた。お部屋にはたくさんの絵が置いてあった。とても上手だった。
私は彼の家ではじめて油絵を描く人を見た。それまで、油絵というものは画家しか描かないものだと思っていた。おばあちゃんの絵は風景画が多かった。

彼はお楽しみ会のフルーツバスケットで指を骨折しちゃって、それ以来うちのクラスではフルーツバスケット禁止令が出た。
とてもやんちゃでお茶目でおもしろい子だった。でも小5くらいで隣町に引っ越していってしまった。そして彼のおばあちゃんは数年後にお亡くなりになったと聞いた。

先日、たまたま彼の名前を見かけて調べてみた。なかなかない珍しい苗字と名前だから彼に違いないと思っていたら、やっぱりそうだった。

彼はインタビューであの教会の横のピアノ教室が僕の音楽の原体験だと言っていた。
うれしかった。
ピアノの先生が聞いたらもっと喜ぶだろうな。
そして彼のあるアルバムのジャケットは、彼のおばあちゃんの絵を彷彿とさせるような絵だった。

彼は私のことなど忘れているかと思うし、連絡はしないけど、ミュージシャンとしてさらなる活躍を祈っています。


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