子どもの権利はどうなるのかー 国の内密出産ガイドライン

 「内密出産のガイドラインを国が公表へ」というニュースが駆け巡りました。熊本市の慈恵病院が独自に導入したとしている内密出産について、国はガイドラインで「親に対して出自を知る権利をきちんと説明する」「戸籍法で義務付けられている出生届を親や医師が出さなくても、市区町村長の職権で戸籍が作れるという解釈を明確にする」などと報道されています。内密出産は「いいこと」であるかのような報道が続いていますが、果たしてそうでしょうか。

親に会いに行けるのか?

 まず、出自を知る権利について考えてみます。
 内密出産はこれまで5例あったと伝えられています。親の身元を示す書類として健康保険証、学生証、パスポート、運転免許証などのコピーが病院に渡されたといいます。これらの書類が、出自を知る権利を保障してくれるのでしょうか。
 親の名前だけわかればいいという人もいるかもしれませんが、「親に会いに行きたい」と思う人もいるかもしれません。子どもが実親に会いたいと願うなら、それができるようにしておくことが大切だと思います。
 運転免許証などのコピーをもとに、実親をたどることができるのでしょうか。親が引っ越しをせず、免許証の住所が変わらず、結婚もせず、名前も変わっていなければ会いに行ける可能性があります。
 引っ越しをしていれば、本籍地のある自治体で戸籍謄本を取って、現住所の履歴がわかる附票を請求すれば今の住所にたどり着けますが、免許証や保険証には本籍地は書かれていません。本籍地の情報があったとしても、戸籍謄本は基本的に直系の親族しか取ることができません。子どもが将来、親の本籍地に出向いて「この人は実母だから戸籍謄本を取りたい」と求めたら、親子関係を示す公的な書類の提示が求められるでしょう。内密出産で生まれた子どもが自分の戸籍謄本を取っても、親の名前は空欄です。親子関係を示す公的な書類はありません。さらに母親が結婚して本籍地も姓も変わっていた場合、たどることは非常に困難となります。
 「出自を知る権利について親に説明しろ」とガイドラインで求めるのならば、その権利がちゃんと守れるシステムをつくることは国の責任ではないでしょうか。日本も批准している国連子どもの権利条約では、出自を知る権利とともに、身元の情報が失われない権利も定められています。

脱法行為ではないのか?

 次に、戸籍法を見てみます。同法第49条では、子どもが出生したら「14日以内に届出をしなければならない」と定め、「父母の氏名および本籍地」を「記載しなければならない」と規定しています。さらに52条では、届出をする人として「父または母」と定め、出生前に離婚した場合は母がしなければならないとしています。母が届出をすることができない場合、同居者、出産に立ち会った医師、助産師が届出をしなければならないと決められています。

 「しなければならない」と定められていることをしなければ脱法的行為になるのではないでしょうか。法治国家ですから、国は法律を守るよう国民に求めるべきだと思います。「しなければならない」ことを「しなくてもいい」という解釈をするならば、あらゆる義務が「しなくてもいい」ことになり、法律は意味がなくなります。これでいいのでしょうか。

 同じ病院が運営している「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)には、外国人が預けに来たケースが複数あります。内密出産も外国人が利用する可能性があるでしょう。両親ともに外国籍だったとしても、市区町村長の職権で戸籍を作り、日本国籍を与えるのでしょうか。

 日本は国民皆保険です。子どもは親の扶養に入り、親が入っている健康保険から医療費が出ます。しかし、内密出産で生まれた子どもは、赤ちゃんポストに預けられた子どもと同じように、親がわかりませんので保険に入ることができません。医療が必要な場合、かかった医療費は熊本市が負担しています。国が内密出産を認めてガイドラインを作るのなら、県外から来て生まれた子どもの医療費を熊本市だけが払わなくてもいいよう、国が負担する制度にすべきではないでしょうか。

母子を救えるのか?

 内密出産は「予期せぬ妊娠をして困った女性たちが孤立出産の末に子どもを遺棄してしまうことを防ぐ」というストーリーを思い描いている人が多いようですが、希望的観測です。
 赤ちゃんポストもまた「予期せぬ妊娠をして困った女性たちが孤立出産して、子どもをどうしていいのかわからなくて連れてくる」というストーリーで語られてきました。しかし、実際に取材してみると、男性が連れてくるケースが少なからずあります。妻ではない女性との間に生まれた子どもを、シングルマザーとして育てるつもりの女性に黙って連れてきた男性がいました。犯罪ではないのでしょうか? この男性、職業は医師でした。
 ほかにも学校の先生が未婚で出産し、ほかの先生たちから責められて預けに来たケースもありました。医療や福祉、教育に携わる「先生」と呼ばれる職業の人たちも来ています。先生と呼ばれるがゆえに「間違ってはならない」という思いが強く、世間体を気にしすぎる傾向があるのかもしれません。関係者に取材すると、異口同音にこんな話を聞きます。「赤ちゃんポストがなければ子どもを殺していた人たちではない」
 思い描いた希望のストーリーを信じたい気持ちはわかりますが、現実に起きている事実を直視する必要があります。

 熊本市がポスト検証のために設置した専門部会は、赤ちゃんポストの存在が「孤立出産を誘発している」可能性を指摘しています。内密出産もまた、メディアで大々的に報道されることで、「親に言いたくないから、臨月になって新幹線で熊本に行けばいい」と考えて妊婦健診を受けない人たちを増やしてしまいかねません。出産のときだけ医療がかかわればいいという話ではありません。妊娠がわかって、子どもを産むつもりなら、定期的に産婦人科で健診を受けることは子どもの命を守るために重要なことです。妊婦健診の費用はほとんど自治体が出してくれます。
 すべての医療機関に守秘義務があります。内密出産をしている病院だけが秘密を守ってくれるわけではありません。それぞれの地域には医師や保健師、助産師というプロフェッショナルがいます。必ず秘密を守って相談に乗ってくれます。予期せぬ妊娠を責める人は多分いません。陣痛に耐えながらわざわざ高いお金を払って新幹線で熊本へ行く必要はなく、近くの産婦人科に相談していいというメッセージが必要だと思います。妊娠SOS相談も充実しています。 

 内密出産がなければ孤立出産して子どもを遺棄するかもしれないという人がいますが、「かもしれない」話はいくらでもすることができます。普通に病院を受診して出産していたかもしれません。そこで適切な支援につながったかもしれません。DV男が「内密出産して子どもを置いてこい」と脅しているかもしれません。「遺棄するかもしれない」という言い方は、女性は無力な存在だから助けてあげましょうという上から目線を感じてしまいます。
 内密出産はドイツで制度化されたものですが、そのドイツでも「内密出産制度がなければ普通に医療機関で出産した人や、今ある制度を使って養子縁組したと思われる人もいる」という報告があります。制度があるから利用者がいるという側面もあり、評価はわかれています。

女性の問題ではなく社会の問題

 赤ちゃんポストや内密出産を利用する女性たちは「神経発達症」(発達障害)だという指摘があります。
ゆりかごや内密出産 精神科医が指摘「利用する女性にはある特性」(TKUテレビ熊本) - Yahoo!ニュース

 何人の女性を診察したというデータはありません。推測の域を出ないのではないでしょうか。医師が言うことも憶測や信念に基づいているのか、エビデンスやデータに基づいているのか、見極めることが大切です。赤ちゃんポストを利用するのは「女性」であるというのも思い込みであり、先に書いた通り、男性が来るケースもあります。
 内密出産をする女性たちが発達障害の疑いがあるならば、その人たちにとって必要なのは周囲の支援です。子どもを産んだことを誰にも知られたくないからといって、本人の情報を家族にも関係機関にも伝えないならば、適切な支援に結びつかないのではないでしょうか。
 「どうしても親に言いたくない」背景には、虐待や暴力がある可能性があります。実際、内密出産した1例目のケースでは男から暴力を受けていたそうです。暴力を受けているならば、暴力を受けずに済むように専門家が介入する必要があるのではないでしょうか。内密にしたいからといって子どもを置いてそのまま退院させれば、暴力は続いてしまいます。女性たちをかえって孤立させてしまいかねません。
 出産後も、母親の心身の医療的ケアは必要です。出産に伴う傷は治ったのか。産後うつになっていないか。特に子どもを手放した母親はうつになるリスクが高いことは知られています。母親が住む地域の保健師らによって見守ってもらい、医療的ケアにつなげることは欠かせないと思います。

 誰でも困ることはあります。困っている人の特性が問題なのではなく、困っている人がいることに気づけない社会の側の問題だと思います。予期せぬ妊娠をした人たちの問題ではなく、私の問題であり、あなたの問題でもあります。

 親から存在を誰にも知られたくなかった子どもたちは、大きくなったときどう思うのでしょうか。自分の存在を、親は隠したかった。認めてくれなかった。出生届も出してくれなかった。名前もつけてくれなかった。そこには人格をもつ一人の人間が生まれているのです。その人の尊厳を深く傷つける可能性があります。子どもの人生は取り返しがつきません。

 どうかメディアのみなさまには、希望的観測ではなく、信じたいストーリーではなく、「発表」を右から左に伝えるのではなく、法律を無視することなく、現実に起きている事実と根拠に基づいた報道をお願いしたいと思います。

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