「内密出産」を巡る報道の無責任

「裏を取る」

新聞記者なら情報の「裏」、つまりその情報が事実であるかどうかの根拠を確かめることは基本中の基本です。私は駆け出しのころ、デスクから「こういうことか?」と聞かれ、「そうだと思います」と答えたらこっぴどく叱られました。「思う、で記事を書くな。伝聞や想像で書くな。事実かどうか確かめろ。裏を取れ」と厳しく指導されました。記者はみんな同じような経験があると思います。

熊本市の慈恵病院が独自に導入したとしている「内密出産」について、連日のように大きく報道されています。報道によると、内密出産を希望する女性が昨年12月に出産。女性は自分の身元に関する情報は病院の新生児相談室長だけに明かしているそうです。院長は母親の名前が空欄のまま出生届を出すことが法に抵触するかどうかを熊本地方法務局に質問したところ、同局は犯罪の成否について、「捜査機関において収集された証拠に基づき個別に判断されるべき事柄」として、「回答できない」と答えました。院長は出生届の提出を当面保留したそうです。

この女性について報道機関も行政も「どこの誰か」把握していません。「こういう女性がいた」と病院側が「発表」しているだけです。発表を検証することなく、根拠を確かめることなくただ右から左に伝えることは、「大本営発表」をそのまま伝えた戦時中のメディアと変わらないのではないでしょうか。私は発表内容が事実と違うとは思いませんが、事実と「思う」ことを報道するのは危険です。

「かもしれない」話は書けるのか

2022年1月10日付毎日新聞は3面で内密出産について大きく報道しています。こんなことが書かれています。

今回出産した女性も「病院で産めなかったら一人で産んで、捨てていたかもしれない」と漏らしたという。(略)退院する際には「今までの人生で大人にこんなに優しくしてもらったことはなかった」というメッセージを残したという。

記者が女性本人から聞いたわけではなく、伝聞です。病院にとって都合のいい話です。都合のいい言葉だけを切り取って発表している可能性や、誘導して出てきた言葉という可能性もあります。「捨てていたかもしれない」と言ったからといって、本当に「捨てた」かどうかはだれにも分からないことです。

発表に頼って記事を書くことは危ういことです。院長と新生児相談室長がそろって記者会見されていますが、この2人は夫婦です。室長が独立して子どもの立場に立って発言されているようには見えず、夫である院長の主張に沿うような発言をされているのを見ると、一層危ういと思います。

報道の原則は実名

報道は実名が基本です。日本新聞協会は2006年、「実名と報道」という冊子を発行しました。それにはこんな文章があります。

実名は事実の核心です。「いつ」「どこで」「だれが」「なにを」「なぜ」「どのように」のいわゆる5W1Hは、情報の必須要素です。その中でも「だれが」は絶対に欠かせない要素です。
匿名発表は容易に進化、あるいは深化します。最初は受け身的に始まったとしても、それを見過ごしているうちに拡大し、やがて意図的、組織的な隠ぺい、ねつ造に発展する恐れがあるのです。
事実の提示に基づく迫真力がジャーナリズムの力です。社会全体が匿名化すると、個人の責任や権利・義務の関係があいまいになり、人権侵害を招いたり、人権侵害があっても分からなくなったりする恐れがあります。私たちはこういった時代だからこそ、書かないこと、触れないことによる人権擁護ではなく、「書く」ことで人権を守り、民主主義を支えたいと考え、報道の在り方を模索し続けています。

報道は実名が原則ですが、ケースバイケースで匿名とすることもあります。その場合でも、「どこのだれか」を把握した上で、匿名にするか実名にするかを判断します。「どこのだれか」が分からないままの報道は、それが真実かどうか見極めることができず、無責任です。

とはいっても、内密にしなければ女性は孤立出産して赤ちゃんが死んでしまうかもしれないじゃないか、と思われる方もいらっしゃると思います。内密出産が登場した経緯を振り返ります。ドイツで法制化されたもので、慈恵病院がドイツにならったのは「赤ちゃんポスト」と同じです。

「匿名なら助かる」根拠なし

ドイツでは1999年以降、赤ちゃんポストが全土で設置され、多くの子どもが預けられました。法的にはグレーゾーンだったため、政府に政策提言する倫理審議会が検証し、2009年に見解を発表します。それによると「匿名を保証して新生児の預け入れ場所を設置するのは、新たに生まれ出た人間の基本的な権利を侵害する」「もし匿名による子どもの委託の可能性が存在しなかったとすれば、母親が子供を殺害してしまっただろうと推定させるに足る事例はこれまでのところ一件も知られていない」とあります。「匿名にすれば子どもの命が助けられる」という根拠はドイツになかったのです。このため審議会は赤ちゃんポストの廃止を提言した上で、代替策として内密出産が導入されました。

病院は内密出産が必要な理由に、赤ちゃんポストに預けられる子どもが孤立出産で生まれているケースが多いことを挙げています。どんな女性が孤立出産にいたるのでしょうか。「こういう女性たち」とひとくくりにすることはできませんが、取材を通して見えてきたのは、背景に知的障害、発達障害、精神疾患があるケースが少なくないということです。例えば2021年11月23日付読売新聞によると、佐賀県で知的障害者の女性(25)が自宅で出産し、遺体を放置した事件があり、弁護人は「女性は妊娠後に病院に行かないことが問題だということも、理解していなかった」とあります。女性は執行猶予付き有罪判決を受けています。

こうした女性たちに必要なのは「内密出産」でしょうか。女性が困っていることに周囲のだれかが気づいて手を差し伸べ、医療につなぐことではないのでしょうか。困った女性たちの問題ではなく、困っている人に気づけない社会の問題だと思います。

当事者を取材する

孤立出産して赤ちゃんポストに預けに来る人はどんな人でしょうか。私は関係者の協力で、実際に預けた女性に取材しました。彼女は夫ではない男性との間に子どもを身ごもり、悩んだ末に「赤ちゃんポストに預けよう」と思い、自宅で出産に臨みました。「赤ちゃんポストがなければどうしていたと思いますか」と尋ねたら、「自分で育てていたと思う」と答えました。彼女はその後、再婚して2児を育てています。全く「普通のお母さん」でした。私は子どもを預ける女性は「子どもを育てたくなかった人」だと思っていましたが、それは私の思い込みでした。当事者を探して実際に話を聞くことの大切さを実感しました。

熊本市は赤ちゃんポストの運用状況を検証するため、弁護士や医師、福祉施設職員、児童福祉の専門家などによる専門部会を設置しています。同部会が出した報告書は、赤ちゃんポストの存在が孤立出産を誘発している可能性を指摘しています。内密出産をめぐる各社の報道では、赤ちゃんポストの検証がほとんど出てこないのはなぜでしょうか。病院の発表に頼った報道をしているからではないでしょうか。専門部会の検証報告書も、ドイツの審議会の見解もインターネットにアップされています。こたつに入っていても読むことができます。ドイツの見解は、熊本大などの研究者によって日本語訳されています。

最初に書きましたが、病院は出生届を当面保留するとのことです。子どもは昨年12月に生まれたとのことで、既に1カ月以上たっています。戸籍法では、出生届は14日以内に提出しなければならないとしています。親が出せない場合、出産に立ち会った医師や助産師が出さなければなりません。違反すれば5万円以下の過料も規定されています。

国連の子どもの権利条約には、「出生の後直ちに登録される」「出生の時から氏名を有する権利及び国籍を取得する権利を有する」「できる限り父母を知りかつその父母によって養育される権利を有する」「国籍、氏名及び家族関係を含むその身元関係事項について不法に干渉されることなく保持する権利を尊重する」と規定されています。

「内密出産」で生まれた子どもには名前がなく、特定の養育者もおらず、保険もなく、戸籍も国籍もない状態が続いています。特定の養育者(実母でなくても)がいることはすこやかに育つために非常に重要なことです。名前を持つことはその人の尊厳のために必要ですです。赤ちゃんにも人権があります。基本的人権が守られていないのではと危惧しています。

係争する可能性も

さらに私が危惧しているのは、この女性が10代ということです。未成年者が出産した場合、親権はその親(赤ちゃんの祖父母)にあります。子どもを特別養子縁組する場合、民法では親権者の同意を得た上で、家庭裁判所の審判を経ることになっています。親権のない未成年者が「子どもを養子に出したい」と言っているという伝聞情報で、家裁が養子縁組を認めるかどうかは分かりません。もし認められなかった場合、だれがどう責任を取るのでしょうか。女性は親に出産を知られたくなかったそうですが、将来、孫の存在を知った祖父母が親権を主張して裁判に訴える可能性もあります。

女性は妊娠が知られたら「親から縁を切られる」と恐れているそうですが、その恐れから実母との縁を切られてしまう子どもはどうなるのでしょうか。

親の名前を無記入で出生届を提出することが刑法の公正証書原本不実記載罪に抵触するかどうか、が報道されていますが、内密出産には民法、国籍法、戸籍法など複数の法律の壁が立ちはだかります。朝日新聞は2月9日付社説で「子ども守る社会の責任」と題して、内密出産の「母と子の命を守ろうという取り組みを尊重」と書いています。脱法的な側面があるにもかかわらず、「課題一つひとつを、病院と行政が連携して解決していくことが欠かせない」と書くのは不思議です。課題は主に法的なものです。「病院と行政が連携」すれば法律の壁を越えることができるのでしょうか。

共同通信が1月14日に配信した論説原稿「国主導で法整備議論を」には、「孤立出産した女性が途方に暮れ、生まれたばかりの赤ちゃんの口元をふさぐ光景が浮かぶ」という文章があります。私が調べた限り、乳児遺棄事件では死産だったか、母親がパニックになってうっかり死なせてしまったケースが多く、殺意を持って「殺した」ケースはほとんどありません。記者は自分の目で見て、耳で聞いたことを伝えますが、頭に浮かんだ光景を想像で書くのは、記者の仕事ではないと思います。

「孤立出産して子どもを遺棄してしまうかもしれない親たちを病院が助けている」というストーリーは陰謀論のようなものだと思います。子どもを「救いたい」と思うのは人情です。私にも「救われていると信じたい」という気持ちがあります。しかし、信じたいと思うものを信じてしまうことは危険です。特に報道に携わる人にとってはなおさらです。「何が事実か」を徹底して見極めることが必要だと思います。

「赤ちゃんポスト」や内密出産について、詳しく知りたい方は拙著『赤ちゃんポストの真実』をご参照ください。

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