私を作ったのは、わたし。
小野美由紀さんのオンラインサロンで、「私のかたち」というお題を頂いて書いたものです。(フィードバックを貰う前)
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「体は半年前に食べたものでできている」
なんて話を聞いたのはいつだったか。どういう理屈なのかも半年前に何を食べたのかも覚えていないけど、このフレーズだけは覚えている。
命を食べて、血肉にする。ひどく当たり前のこと。
でも、これだけでは半分だ。肉体だけ。それだと、肉の詰まった皮袋でしかない。そこに、心が入るから、人間だ。
じゃあ、心はなにでできている?
心の食べもの。それはきっと、言葉だ。心は届いた言葉でできている。
子供の頃は、なんにでもなれると思っていた。サッカー選手にも小説家にもガンダムにだって。肯定的な言葉に囲まれて、自分の可能性に疑問を持っていなかったからなんだろうと今なら思う。
大人になるにつれて、そんな無限の自信はどこかに消えてしまったけれど。
これは、自分の世界から肯定的な言葉が減ってしまったから、ではない。そうやって、周りのせいにできたら、ずいぶんと楽だろうけど。
もちろん、否定的な言葉はそこらじゅうに溢れているし、自分に向かって飛んで来ることもある。目を閉じ、耳を防いで生きていくわけにはいかないから、どんな言葉も選り好みせず食べてしまうというのは、事実。
でも、それ以上に、心に言葉を詰め込むのは自分自身。自分が自分に向けた言葉。
「どうせ、私にはできない」「才能がない 」「あの人は、特別だから」
一番、心に冷飯を食わせているのは自分だ。
そうやって、小さく固まった心は元のかたちがわからなくて、自分の在り方も忘れてしまう。
なにになりたかったのか、どうしたかったのか、本当の自分って?
そんなものが全部わからなくなって。
ずっと、世界に自分のかたちがピタッと合わないと思っていた。それは自分で自分を変形させていただけなんだろう。本当は、もっと枠があるはずなのに、小さく固まった分、スキマが大きくなってしまって。
結局、自分のかたちを作るのは自分だ。何を食べたかで肉体は作られ、どんな言葉を投げ掛けたかで心が変化する。とても単純で、でも意識していないとすぐに疎かになるもの。
自分をどんなかたちにしたい?
世界と自分の余白をどんな風に埋めていくのか。生きづらいかたちから、どんな風に変わっていけるのか。
明日から、ちょっとだけ、そんなことを考えて、自分に与えるものを選んでいこう。
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