宝塚歌劇団とエンタメ業界への8,500字の提言
執筆:2023.11.15
現在、色々と騒がれている宝塚歌劇団の問題。
具体的には2つあり、①長時間労働、②閉鎖的な環境だからこそのパワハラ疑惑。
これらの一報に対して、2010年からファンで観続けている私が抱いた感情は、いじめに対してよく言われる、
「見て見ぬふりをしていたやつも同罪」
としての罪悪感だった。
見て見ぬふりをしてきた罪悪感があって、現在モヤモヤした思いがあること
演劇を生業とする人たちに、今まで抱いてきた憧れ
自らの演劇部経験から考え込んでしまうこと
を整理して、文字として昇華したい。
切り取ると危険な内容なので、色々な視点を均等に混ぜながら、論じていきたいと思う。
公式誌より、タカラジェンヌが
舞台稽古以外で行っていたこと
ファンである私が、何を「見て見ぬふり」をしていたかというと、主に「タカラジェンヌの長時間労働」。
宝塚の公式月刊誌での、タカラジェンヌの語る記事で、下記のような記述をたくさん見てきた。(具体的に何月号!という出典はないが、宝塚ファンなら当たり前の常識で、複数の記事で語られていること。)
夜なべしてアクセサリーを手作りした。
自作したアクセサリーを上級生に見せて、アドバイスをいただいたので、何度か直した。
お手伝いしている上級生に、手作りの贈り物(主にはジャージ・ペットボトルキャップなどをデコレーションしたもの)を喜んでいただけた。
大劇場公演・東京宝塚劇場公演付近の日程で行われる、組旅行が楽しかった。
休演日に、
・土台となるアクセサリー(調達したアクセサリーを分解して作り変える(1))や、公演で使うコスメ・香水などを、百貨店に買いに行く。
・次の公演で参考になる資料を集め、演じる登場人物や歴史的背景を理解する。
今客観的に捉えると、太字の箇所は、公演とは関係なく行われていることだ。
まず、1・2のアクセサリー。私は率直に、アクセサリーを手作りする娘役に対して、手先の器用さや美的センスに憧れていた。月刊誌に出てくる売り物のように美しいアクセサリーを見て、ときめいた。
だが、「長時間労働」という言葉が出てしまった以上、客観的に見てしまう。
イヤリング製作にかかる時間は、こちらを準拠して2時間。ネックレスは倍くらい大きいので4時間。ネックレスくらいの大きさのヘアアクセサリーも手作りなので、4時間。合計10時間。
で、出る場面すべてで違うアクセサリーを用意するとして、最初・中詰・最後を考えて3場面、×2(芝居+ショー)、最終合計60時間。
……改めて計算すると、ぞっとする。私はアクセサリーを作ったことはないので、あくまでも推測なのだが。
既製品・上級生から受け継がれるアクセサリーという選択肢もあったと思うが、既製品をそのまま使ったことがファンに特定されてSNSで叩かれてしまった例もあったし、衣装やアドバイスに合わせて作り変えるという伝統もあった。よって、もちろん、年数を重ねるにつれて慣れて早く作れるようになるところはあると思うが、“夜なべした”という表記を何度も見たことがあること・調達時間なども加味して、アクセサリーに関する業務が60時間程度はあったのではないかと推測する。
3に関しては、舞台の稽古“以外”に、少なくとも「上級生のお手伝い」の時間と「贈り物を手作りする」時間があったことが分かる。
「上級生のお手伝いは自ら名乗り出る」という記述は覚えているので、確実に強制ではない。だけど、宝塚に入る子はタカラジェンヌの誰かに憧れて宝塚ファンとして入ると思うので、その憧れた人が在団しているなら、手伝いたいです!って言うよな、と思う。(一般的な言い方だと、タカラジェンヌはほぼ全員「成功したオタク」なので。)
4の組旅行に関しても、「旅行の計画」の時間があったことは分かるのだが、コロナ禍から今も自粛してるはずだ。
ここで言いたいのは、コロナ前は、稽古以外で縦が繋がるイベントが各組であったことである。一般的な会社だと、歓送迎会・昼食時間のようなこと。
舞台以外で話す時間がなくなるということは、一般的な会社だと、上司の素の姿が分からず、プライベートのコミュニケーションが取れなくなり、業務内容しか話せないということ。タカラジェンヌは、コロナ禍で外食も禁止されていたらしく、この問題は某OGさんも指摘していた。“プライベートの縦の繋がり”がなくなったことで、上級生と下級生のコミュニケーションが舞台の叱責のみになってしまった可能性はあるのではないかと推測する。
5の休演日に関しては、「休演日」という名目でも結局は舞台のことを考えた行動をしていて、身体も心も休まってないじゃん、ってこと。だけどここに関しては、演劇部に所属したことがある身として、休日にも舞台のことを考えた作業をしてしまうのはどうにもならないと言いたい。舞台を創り上げるためには、とてつもなくたくさんの作業が必要になるが、休みの概念を忘れてしまうくらいに魅了されるのが演劇なのだ。長くなるので別章にまとめる。
見て見ぬふりをしてきた、
タカラジェンヌの長時間労働
以上の箇条書き5項目は、改めて文字で綴るとインパクトのある伝統であるため、宝塚を何にも知らない人・演劇をしたことがない人・ホワイトな環境にいる人などは「あり得ない!」と感じる、時代錯誤なことなのかもしれない。
でもこれらは、公式誌に載った文章の一部なので、何年分かを読んでいれば分かること。
宝塚をこよなく愛して私生活全てを捧げる熱狂的なファン「ではない」ライトなファンも知っている、宝塚界では当たり前のことなのだ。
なので、一連の報道があるずっとずっと前から、
「タカラジェンヌの長時間労働」は
うっすらと透けて見えていた のである。
それを、見て見ぬふりをしていたな、とファンとして感じたのが、報道を受けた私の感想だ。
(それどころか、ファンにもその労働は課されていた。私の友達は、ジェンヌさんから頼まれておかもちを作ったと言っていたし、凄い経験のブログ記事も見つかった(下に記載))
でも、敬意のある上下関係があるからこその「清く正しく美しい」宝塚の舞台や、アクセサリーまで手作りするほど舞台に魂を注ぐ宝塚の美意識に惹かれて、ファンを続けてきたことも事実なので、モヤモヤした思いが晴れない。
ここに関しては、本当に一度観てみてほしいとしか言えない。
時代錯誤かもしれないことにも、何かしらの魅力があるからこそ、宝塚受験生の密着番組は高視聴率が取れ、宝塚音楽学校には定員以上の志願者が集まり、宝塚歌劇団は109年も続いてきたのだ。
ただ、ファンじゃない人も、宝塚の厳しさを耳にしたことがある人は多いんじゃないだろうか。有名どころだと、「阪急電車にお辞儀」「何でもやってもらえるばあや」などは、エンタメとして消費されていて、バラエティ番組では笑い話にされていたので、世間に周知の事実だと思う。
冷静になると、これらの話にもブラックの怪しさが香る。今、宝塚をぶっ叩いている人もいると思うが、昔から伝わるこれらの話を聞いたときに、「おかしい」と突っ込まず、笑い話としてスルーした人が叩いているのなら、そんな資格があるのかと思ってしまう。
もちろん宝塚内部でコロナ禍などでたくさんの改革があったのだろうが、現代に合う抜本的な改善には至らなかった。
世論では数ヶ月ごと・1年ごとに変わっていた価値観が、宝塚では30年くらい積もりに積もってしまい、寛容になっていく時代の変化に宝塚がついていけなかった原因とは何か。
それは、片鱗を薄々と感じていたにも関わらず、見て見ぬふりをしてしまったことだ。
私たちは、宝塚の古き慣習を当たり前だと思い、おかしいと声を上げずに受け流してしまった。
なので、宝塚の閉鎖的な環境と古き慣習にいつかメスが入ることは宿命であり、それが今のタイミングに、最悪な形で露呈したのだ。
演劇は労働に入るのか?
舞台に魅了される人びと
休日にも舞台のことを考えた作業をしてしまうため、「休演日」といっても身体や心を休めていない件について、もう少し掘り下げたい。
私は高校の演劇部時代、役者もしていたが、自ら原案を手掛け、脚本・演出をした経験がある。
そのときは、公演のための部活動が始まった日から公演日まで、ずーっとその舞台のことを考えていた。もちろん休日に行ったディズニーでも、自分の舞台を考えちゃってた。
脚本・演出のときは今まで以上に舞台のことを考えていたが、それは役者のときもそうで、舞台をより良くする方法を考え出したら、きりがなかった。
何が言いたかったかというと、クオリティを求める以上、労働環境としてはブラックになってしまうのだ。
実際、私の部活時代も、自分たちが先輩に食らいついて学んだような部活への熱い姿勢が、自らの後輩に伝わらず、少し揉めていたことがあった。今思えば、あの時の私たちはずっと公演のことを考えているブラックな環境だったし、後輩たちはそれに気付いて、嫌気がさしていたのだろう。
でも、何かに全力で向き合う上では、時間をかけないと、満足する結果は得られない。
これはアスリートでも同じで、大会で勝ち抜くために、休みの日も練習をしたり、体力向上の筋トレや走り込みをしたり、食べたいものを我慢したりしていると思う。
じゃあ、アスリートはブラックな環境なの?というと、「そうではない」と答える人が大半だろう。
これは、宝塚やアスリートは氷山の一角にすぎなくて、多くの界隈で当たり前のこと。例えば、エンタメ業界においては、
強豪校の部活
日プの「順位発表式での脱落から1週間合宿をして現場評価に臨む」という過密スケジュール
アイドルになれた人たちに科される「カムバ前は睡眠2時間程度(韓国アイドル)」という発言
吉本の「先輩がいたらご挨拶、ご飯ではその場の一番上の先輩が全おごり」という発言
も、ブラックの匂いが香ってしまうことだと思う。
でも、みんなやりたくてやってることだし、そんなこと言ってたら、努力が実る界隈全て、ブラックと言えちゃう。仕事に追いつくために家で勉強をするとか、会社の制度で必要な資格の勉強をするとか。一般人も、「好きだから私生活の時間をかけてやってる仕事の一部」っていっぱいあるよね。
ご家族のコメントから考える
役者の楽しさとやりがい、そして魔力
今回宝塚で起こったことの一連の報道において『どんな辛いことがあっても、舞台に立っているときは忘れられる』というコメントがあったが、その言葉は嘘ではないと思う。
“そう言う時点で宝塚の世界に毒されていた”のような批判もSNSで見たが、役者のとてつもなく素晴らしい達成感を全く知らずに、やりがい搾取だと叩くのは、お門違いも甚だしい。
なぜなら、アマチュアな役者経験を積んだ私も、「どんな辛いことがあっても、舞台に立っているときは忘れられた」から。
セリフが劇場中に響くあの爽快さ、スポットライトを浴びたときの壮観な気持ち、豪華な衣装を着られるときめき、豪華で素晴らしい舞台に自分が立っていることを客観的に感じたときの高揚感。
役作りに関する、事細かに情報を集めた役のピース(点)が脳内で結ばれて線になったときの快感、役への解像度が鮮明になってセリフが暗記物で無くなったときの、自分じゃない何かの感情が憑依してきたあの不思議な感覚。
実力が上がって目立つ場面を貰えることへの喜びと同時に感じる、役者の一挙手一投足がスタッフさんの操作のタイミングと舞台の成功を握っている武者震い。
アマチュアな私でさえも演劇をやっているときは、とっても楽しく、演劇に魅了されていた。今までの苦労が報われた気持ちで、胸がいっぱいだった。
だから、観客1000人を超える劇場で1ヶ月間×東西2回も公演を続けることが、どれほど楽しいことだろうか、と思う。宝塚音楽学校に応募が殺到することも、すごく理解できる。
ただ、『それ(舞台に立つ幸福)を上回る辛さは、忘れられる量をはるかに超えていた』ことに気付けないのは、演劇の負の側面であって魔力だと思う。宝塚だけでなく、エンタメ業界の負の側面だ。
私も、高校時代を今振り返ると、あれは私にとっての青春だったし、戻りたい気持ちはもちろんある。けれどももう、あのオンオフのけじめが付かない生活を今の私は送れない、と強く思う。
タカラジェンヌOGもよく「あの時は宝塚のことしか考えられなかった、今は余裕がある」と語っているから、過去の当たり前が歪んでいたことに、退団後の新たな環境で気付いたんだと思う。
舞台の幸せと辛さの両面で葛藤していた彼女の気持ちは痛いほど分かるので、他人事とは思えない。よって、こんな長文になってしまった。
今回の問題は、運営にある
今回の一番の問題は、悪しき風習を分かっていながらも改善しなかった、劇団の運営にあると私は思う。歴史で受け継がれてきたものを変えるのは難しかったのかもしれないが、それは言い訳でしかない。
変えよう!と決意を持った人たちの改革していく力は、凄まじいものだ。
実際、私の高校時代も、「盛り上がるけど安全性で良くない行為」が伝統的に受け継がれていたのだが、一つ上の代が学年で話し合い、廃止にすると結論づけたことがあった。
「でもあれがないと盛り上がらないから、結局その学年のパリピの人たちはやっちゃうのではないか」と私は内心思っていたが、誰一人その行為をする人はいなかったし、私たちが最上級生になったときも、その行為をする人が現れることは二度となかった。
改革を決めた人たちの凄まじい決意の力なら、悪しき風習を滅ぼすことなど、簡単なのだ。
そして、宝塚歌劇団の構造上、抜本的な改革に踏み切る力を持っていたのは、生徒ではなく、運営だった。
それが、今回の大きな問題だ。
私が宝塚歌劇団に求めること
ー直接的な親会社が不明という 異様な関係性ー
中にいるタカラジェンヌたちが現代に合った価値観の元で輝かしい舞台が創れるよう、宝塚歌劇団・宝塚音楽学校に抜本的な改革が施されることを祈るばかりである。劇団に、今もおよそ400人の劇団員(タカラジェンヌ)がいるということを、何よりも忘れてはいけない。
そのためには、11月14日発表の「外部弁護士からなる調査チームの調査報告・提言を受けた宝塚歌劇団の今後の対応について」内の「当団の対応策について」の7点の改善のみでは、私は不十分だと考えている。
私は少なくとも、
若い女の子が大多数の劇団の運営を、親会社のスーツのおじさんが行っている状況が狂っていることに、運営(=結局どこの会社?)が気付くべき
(女性のみの劇団なのに、会見で女性が出て来ない環境なのはやっぱりおかしい。)1〜5年目の社員契約(なんで阪急電鉄と?)、6年目以降のタレント契約制度を見直すべき
若手タカラジェンヌ・演出助手の薄給を改善すべき
(タカラジェンヌの給料のデータは持っていないが、ファンとして薄々感じてきたし、演出助手は安すぎて驚いた。せめてコスメ代・アクセサリー代の少しは賄える給料にしよう。)
の3点のテコ入れは必須だと思っている。
タカラジェンヌに叩き込まれた「文化」は精神的な話も含まれるので、すぐに変えられないのは仕方ないが、運営会社の制度・福利厚生など、「会社として当たり前の労働条件」は制度的な話なので、すぐにでも変えられるはずだ。
とはいっても、制度的な話であっても早急に変えられないくらい、運営さんが閉鎖的な古い体質であることは十分分かっている。早急な実現は難しい改革だが、そうは言っていられない世論になってしまっていると感じる。それに、働き方改革を推し進めた川人博氏には、劇団の長時間労働や膿みを出して、演劇業界の働き方までも改善できるような力があると思っているので。
(今程度に加熱して報道がされなければ、宝塚は変わるきっかけをずっと失い、中にいるタカラジェンヌが現代の価値観で生きられることはないと思ってます。なので、このまま劇団が逃げないことと、マスコミが忘れ去らないことを願います。)
最終的な目標としては、タカラジェンヌファーストの運営と環境に改善するために、運営を丸々入れ替えて(劇団員に近いカウンセラーのような立場には、昔の厳しさを強いないOGさんが入ってもいいよね)、タカラジェンヌ全員と運営を従業員として会社化すべきだと思う。今の、「親会社(結局どこ?)・会見で出てきた男性たち・阪急契約とタレント契約のタカラジェンヌ・宝塚舞台」の関係性は本当にいびつなので、とにかくそこを改善しないと、抜本的な改革は難しい。
ゆくゆくは、私設ファンクラブの在り方・幼い頃から徹底的な上下関係を教え込む宝塚音楽学校の在り方にも、改善の手が伸びることに期待したい。
最終的に言いたかったこと
今まで宝塚の問題に見て見ぬふりをしてきた1ファンとして、11月14日に発表された「調査報告書」と「宝塚歌劇団の今後の対応について」だけで終わらせる訳にはいかない。
なので、今後もこの一連の報道が世論に忘れ去られることがないことと、タカラジェンヌに重きを置いた宝塚歌劇団・宝塚音楽学校の前向きな改善を願い、ファンとして注視し続けたいと思う。
このブログの文章にも、宝塚に対する私のありったけの想いは込めました。
そして何より、現役ジェンヌがいらっしゃるご家族にとっては、きっぱりと二項対立に、宝塚=悪とは割り切れなかったと推測できてしまう。何が最善手なのかの判断が本当に難しいことだったと思うので、その中での“代理人弁護士に頼る”というご決断を尊重したい。彼女が抱えた具体的な辛さが納得のいく形になることを願いたいが、今後の選択(具体的に書いてしまうと裁判に進むか・劇団の内情をもっと世間に公開するかなど)がご家族にとって、更に難しい選択であることは十分承知している。悲痛な中で、本日まで闘われていることに、心から応援しています、としか言い表せないのが本当に心苦しいが、以上をもってこの長文を締め括りたいと思います。
参考
【一言書きたい】
このブロガーさんは、私の考えてることと似たことを文字にしているんだけど、最後の一言にがんっっと罪の重さを感じた。「見て見ぬふりの罪」を究極体で端的な言葉にまとめていて、本当に考えさせられた。
一部引用させていただき、この記事をしめます。
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