時空を共有すること(一緒にいること)

人生の幸せはどこにあるのか。

永遠のテーマと言っても過言ではないこの命題に対して、突然、頭に浮かんだのが標題の考えです。時空を共有すること。時空を共有することは人生に幸福感をもたらせてくれる可能性が高い、そんな風に思います。

時空を共有することとは、簡単に言い変えれば、誰かと一緒にいることです。

コロナ騒動が終わりつつあり、外で誰かと飲食をする機会が増えました。ただただ、楽しいです。

すごい料理を食べたとか、珍しいお酒を飲んだとかではないのに、楽しい。考えられるのは、単純に誰かと一緒に飲食をすること、つまり、時空を共有することが楽しいんだろうなってことです。時間と空間を共にしてくれる存在の有り難さです。

最近、私たち中年夫婦は、夜に1時間程度の散歩をしています。最初は運動不足解消という思いでした。しかし、このたわいもない会話をして1時間程度歩くだけのことが、予想外に幸せな時間だと感じられます。紛れもなく何でもない平日の夜に、一緒に歩いて同じものを見て、会話の中で笑いあえる時間は何物にも変え難い時間だと感じています。下町をぶらぶら歩くだけ。インスタ映えする写真は望むべくもありません。間違いなく、同じ時間と空間を共にしています。誰かが歌った、あの時同じ花を見て美しいと言った2人です。

いわゆるおひとり様の後見人になって思うのは、認知症のご本人が「あなた、また来てね」という言葉を掛けてくれることの意味です。何か特別なことはできません。ご本人は私の名前もわかりません。それでも、ご本人は、また来て欲しいという希望を言葉にしてくれます。自分の時間と空間を共にしてくれる存在だと認識したから、と言ったら言い過ぎでしょうか。

ご本人に面会に行った施設のリビング。私を射抜くいくつもの視線を感じます。まるで、あの人は私に会いに来たのではないだろうかとでも言わんばかりの視線です。私の姿を追いかけ、自分の面会者ではないと悟ったときの視線は痛いです。私との時空を共有してくれる人ではない、という落胆に感じられます。時には、そんな私に対してさえ、また来てね、と声をかけてくださいます。私はあなたに会いに来たわけではないのに。

一緒にいるのは、夫婦や家族である必要はないと思います。同じ趣味の仲間、同じ思想信条の仲間、何かの共通点を持って時空を共にしてくれる存在はかけがえのないはずです。

もっと言えば、人間である必要もないかもしれません。心が傷ついた日、体をぴったりくっつけてくる犬や猫は、心の底から愛しいと感じるはずです。知らず知らずのうちに心の傷を癒してくれます。会話をするわけでもないのに。ただ、時間と空間を一緒にしているだけなのに。

対人コミュニケーションが苦手だとする人もネットで誰かとつながります。同じ時間、ネットという同じ空間でつながります。目の前で一緒ではなくても、紛れもなく、時間と空間を一緒にしています。

人間は一人では生きていけない。よく言われます。その通りだと思います。もしかすると、本当の一人では幸せを感じることができないからかもしれません。見知らぬ惑星に自分一人だけが存在している状況を幸せと感じる人は、まずいないのではないでしょうか。

誰か一人でもいたら、ずっと話し続けて、必死にその人のことを理解しようとするのではないでしょうか。犬や猫でも、その表情から感情を読み解こうとするのではないでしょうか。その惑星に生存していたのが見たことのない生物であっても、その行動から何某かの考えを読み解こうとして、意思の疎通を図るのではないでしょうか。本能的に同じ時間同じ空間を共にしようとしているのではないかと言ったら言い過ぎでしょうか。

さて。
後見の最後、ご本人はもう存在しません。いろいろ話してくれました。ご本人と共にした時間と空間は、間違いなく、ご本人と私の人生の一部です。私と共にした時間と空間は、どんな意味があったのか。知る由もありません。願わくば、幸せに近い感情を抱いてくれていたらいいなと、思います。

別の人。
在宅で死を待つ人がある日ポツリと言いました。「(ヘルパーさんや訪問診療など)みんなが来てくれるから嬉しい」と。動けない自分にとって自分のもとを訪れてくれる存在は、自分のために、自分がいる空間まで来てくれて、時間を共にしてくれる存在です。そこに、何かを感じてくれていたのでしょう。

自分が元気であろうが、弱っていようが、自分と時空を共にしてくれる存在は、かけがえのない存在だと思います。たった数十年ズレただけで出会うことのなかったお互いです。

さあ、あなたの周りには誰がいるでしょうか。時間と空間を共にしてくれる人や動物やアーティストがいるはずです。あなたの人生に豊かさをトッピングしてくれる誰かがいるはずです。それは、あなたの存在も相手にとって貴重な存在だということです。なぜならば、時空を共有する存在だからです。

最後に言いたいことをひとつ。

今夜、あなたが誰かと飲みに行きたくなったら、誰かとご飯を食べに行きたくなったら、誘ってねってことです。
チャオ。

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