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大成への執着

有名なデザイナーになって、いつかパリの公式スケジュールでショーをやるんだ!

いつも大口を叩いていたもりこさん。
ここ数ヶ月で、根底を揺るがすほどの心境の変化があり、今、この瞬間も苦悩しているのです。

というのも、タイトルにあるように「大成する事が本当に幸せへの道なのだろうか」という悩みである。

昨日と同じ今日、今日と同じであろう明日。繰り返す日常を謳歌。 これが最強なんじゃないだろうか????
漠然とした大きな不安に押しつぶされかけ、鬱屈した日々を過ごした経験からか、日常の小さな幸せを感じにくくなっていたのだと、本当につい最近気がついた。
有名になって注目を浴び、世界から評価されることが僕の幸せだと思っていました。

感じていた小さな幸せを観測できていなかった分、「幸せの最低ライン」がここまで吊り上がってしまったというわけです。

そんなわけで今日まで向上心とプライドを持って服飾学生してきたのですが、ここに来て、就職が現実味を帯びてきたタイミングで、幸せセンサーが回復してきたのです。
理由は何となく分かります。充実した日々が心を満たしたんです。学びよりも、毎日誰かと生活を共にするという事が重要でした。
一緒にご飯をたべて「ご飯美味しい〜!」と会話をする。たったこれだけで、「ご飯が美味しいのは幸せだな〜」と普遍的な幸せの実感を取り戻していたんです。

こんな事の繰り返しで、ある時ふと
「大成に執着していた自分」に気がついてしまいました。有名にならなくたって、ファッションデザイナーにならなくたって、幸せになる道は必ずある。そんな思考で脳が埋めつくされていきます。

生活の全てをファッションに注ぎ込んでいた、燃えるような熱量は、もうないんです。生活の上に、しっかりファッションが成り立っています。
もちろん、大成しても幸せにはなれる。それでも、この小さな幸せで妥協して生きていく道を切り捨てる決断がどうしてもできない。

大成したい、したくないに関わらず、就職はやってきます。インターンに行くまでのあと数ヶ月でこのデカすぎる決断をしなければならない。

こんな半端な考えの人間が、大成出来るワケない。とも思う。幼い頃から野望を抱いて走り続けてる人達がいる。その人たちには、たぶん勝てない。
卒業して突然独立してブランド設立!なんて事も現実味がない。そもそも、自分がブランドを持つほどクリエイティブではない。近いうちにアイデアの枯渇がやってくる。と確信しているのです。
そりゃ現実味なんてありゃーしないんです

しかし、老いぼれて人生を振り返った時、間違いなく後悔しますよね。
1度大成するという夢を持った以上、どんな形であれ、普通の道を進んでいけば「大成できなかった人生」になってしまうんじゃないか、と怖くなってしまいます。

夢のために精進する事は、全く苦痛ではないのです。服飾を学ぶことは本当に有意義で楽しい。それでも、尋常ではない負荷がかかっている自覚がある。こんなこと、死ぬまで続けられない!

漠然とはしているけど、大成ビジョン(できる、できないは不問)もある。
ここで最も恐れているのは、「大成したけど別に幸せではなかった」というオチ。後に引けない所まで行けば、こうなる事も簡単に想像がつく。あぁ、怖い。
不問にしていたけど、大成できない!という事も十二分に有り得る。というか、むしろそっちの方が可能性としては断然高いはず。なぜかこれは怖くない。勝つまで戦い続けるから負けなし!みたいな、、、、、いや、、普通に負けるか。無責任な一面の表れだと思います!!知らんけど(免責分)

さて、珍しくちょっとネガティブに吐露してみました。これが1人の服飾学生のリアルです。
素直に言うと、励まして欲しいんです。「生きてりゃいい事あるよ」って、自分じゃなくて誰かに言って欲しいだけなんです。
「生きてるだけでえらい論」は好きではないですが、弱音吐いた時くらいは「そうかもなー?」とも思うものです


以上でした!僕はこれからも頑張ります。死ぬまでファッションはやめられん!

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