![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/74712840/rectangle_large_type_2_257fbf2e9c611eed892bfefa6a6391a7.png?width=800)
垂(たるみ)在中国大使は、中国に物言う初めての大使
垂 秀夫 在中国大使が、青山繁晴議員に抗議のメール?(笑)
【前段】
自民党の外交部会 北方領土等に関しての討議
外務省は国内外で顔を使い分けるところがある。
岡野外務省総合政策局長「モスクワにいる大使は、どうしてもそこで(相手国の中にいるので)弱いんですよ。東京にいると強く言えるが、モスクワにいるとやっぱり大使は(強く)言えないんですよ」
青山議員「率直に仰ったのは分かります。いいことだと思いますが、主権者国民の方から見たら、とんでもない話です。日本の外交官は東京では堂々としていて、北京とか、モスクワとか、ワシントンへ行くと、小さくなっちゃうんですか。ブレブレ。人間として顔を変えるというのは、一番恥ずかしいことであって、こういうことが通用するという神経が、『固有の領土』・『不法占拠』(という言葉)も言えないことになってるんです」
岡野氏「分かりました。撤回します。私が悪かったです。青山議員に指摘され、自分自身もそういう考えを持っていることに気付きました」
垂大使怒りのメール?(笑)
上記の話に関して、盟友の垂大使から青山議員にメールが来た。
安倍政権時代に信じられない人事があって、チャイナ・スクール(中国語で研修を受けた外交官)の中でも、ずっと中国に対して正しいことを言う、中国も分かっていると思うが、嫌がられることではなく、正しいことを言う垂秀夫さんという人が、アグレマン(相手国の同意)が出るかどうかとか沢山障壁があったが、今、北京に居て大使をやっている。
(北京での)外交官拘束を含めて、垂さんは、客観的に言って、中国にガンガンに言っている。
だから、「私は、顔を変えてない」という怒りのメールが来た(笑)。
垂さんへの返信には、分かってると思いますが、僕が顔を変えると言ってるんじゃないんですよ。岡野局長がそうおっしゃったんで、それは違いますよねと言ったんです。
垂さんの怒りは、以前の動画で、北京とか、モスクワとか、ワシントンDCの大使は、みんなそういう風になると言った時に、北京が入ってるのが気にいらない(笑)。「私は違う」と。
本当に違いますから。
本当は、垂さんの指摘は当たらないんだけど、(垂氏への)返信に「メッチャ嬉しい」と書いた。
これは大したもんですよ。中国に対して、ものをいう大使は初めてだと思う。
垂さん、本当に頑張ってください!
青山議員は、在中国大使館の仕事を評価している
(青山議員の)記者時代の話として、
海外の駐在大使は、皆儀礼的。
例えばロンドンの駐英大使は、外交儀礼をやるためにいる。皇族や日本の総理が訪英した時につつがなく行事をセットアップするためにいる。
大使になると、日本国内で貯金もたまる。
実質的な仕事をしているのは、ワシントンの駐米大使館、北京の在中国大使館、ソウルの大使館とか限られている。
かつてのイラン大使は、イランは危ないからと言って公邸から一歩も出ないで、CNNとBBCをずっと見ていた。
情報を取るために、イランの怖い軍関係の情報機関に自分でリスクを冒して会っていたのは、警備のために行っていた若い巡査だったり、巡査部長だったりした。それらの報告書は地方警察の外事課長にしか行かないので、ぜんぜん上(政府等)に上がっていかない。
これが外務省の現実。
垂大使が、日本の国益のために、完全アウェー(中国国内)の中、頑張っておられることが良く分かるエピソード。
害務省と、つい揶揄したくなることも多々あるが、頑張っておられる個々の外交官にはエールを送りたいものだ。
【追記】
台湾有事が懸念される中、垂大使は2023年末に交代させられることになってしまった。
↑ なんと安倍元総理は、垂さんのアグレマン(相手国の同意)が得られるとは思っていなかった。
【参照】
垂秀夫
外務省では、中国語研修を受けたいわゆるチャイナ・スクールである。中国共産党内に独自の人脈を築いていると評される一方、いわゆるチャイナ・スクールにしては異例の対中強硬派と見られている。外交官としての海外勤務は中国、香港、台湾の中華圏だけであることは、キャリア組としては極めて異例。とりわけ、2度にわたる台湾(日本台湾交流協会台北事務所)勤務は日台断交後初めてのケース。
2006年の第一次安倍政権発足時に、谷内正太郎事務次官の下、日中戦略的互恵関係の新構想の構築に深く関わったと言われている。2008年、中国モンゴル課長に就任する直前、人民日報傘下の環球時報は垂をスパイと名指しするなど異例の経歴を踏んでいる。2010年9月、菅直人内閣時の尖閣諸島中国漁船衝突事件の際には、怒鳴りまくる菅首相に対し、当時中国モンゴル課長だった垂は、これは民主党政権の対中弱腰外交が招いた事態だと直言した。また、在中国日本大使館で政務公使を務めていた2013年9月に忽然と姿を消してしまい、東京の本省に舞い戻ったが、これは、中国側よりスパイ活動を警戒され、外務省が急いで本国に戻したが故の失踪劇だったと指摘されている。
*見出し写真:NHK政治マガジン
2023年5月 G7広島サミットに関する中国の抗議への反論
2023年8月 日本「科学に基づかない」と反論 処理水で中国側に
最後まで読んで頂き、ありがとうございます!