何となく生きていませんか?
何となく生きている気がする。
で、ある講師の講演の中にその答えというか、ヒントを見つけた。
多くの人が何処から来て何処に行くのか知らないから、
「何処に向かっていくのだろう」という疑問すら持たずに生きている。
これが「何となく生きている」原因ではないか。
つまり、物心がついたとき、すでに生きていたからだ。
たとえば、宮崎から飛行機に乗って東京に行き、
そこからロサンゼルスに行ったとする。
アメリカで出会った人から
「どこから来られたんですか?」と聞かれたら、
はっきり答えることができる。
「日本です」「日本に宮崎からです」と。
何処から来たのかがわかっていると、
何処に帰るのかがはっきりしている。
また、日本に、そして宮崎に帰る。
でも、物心ついたとき、ロサンゼルスにいたとする。
だから何となくロサンゼルスで生きることになる。
そして死んでいく。
でも顔を見ると、東洋系の顔をしている。
アメリカ人じゃない。
よくよく親に話を聞いてみたら、生まれてすぐにアメリカに来たと知る。
じゃぁ自分は日本で生まれたんだ。
どんなところだろう。
親のふるさとは日本なんだ。
日本語も勉強しようか。
日本にも行ってみたくなる。先祖を訪ねてみたくなる。
それと同じで、私たちの魂はこれから何処に向かっていくのかというと、
たぶん来たところに帰っていくのだ。
「死」とはそういうことなのだ。
死ぬことは終わりではなく、帰ることなのだ。
魂は「肉体をもって体験すること」にこの上ない憧れをもった。
肉体がないと経験できないことは山ほどある。
その中から「本当にやりたいこと」「本当に好きなこと」
「命を賭けてもいいと思えること」、それを一日も早く探して見つけて
それを生きるのだ。
そしたら何となく生きるということから初めて外れて
本来の魂のレールに乗るのではないかと思えてきた。