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深夜に服を捨てること

二月から新しい案件が始まった。先週はずっと出社していた。これまでの8:00起床、18:00定時上がりの在宅生活が一変し、6:30起床、20:00過ぎに帰宅という一週間を送っていた。傍から見れば常識内の勤務時間だが「会社に出社する」ことが久々だった自分はそれに上手く対応することが出来ず、飯や掃除や洗濯やらの生活の基盤が疎かになった。自立した生活はこんなにも難しく、一人暮らししながら出社している世の社会人たちに尊敬の念が湧く。この仕事を始めてから現場で毎日働くのも二年振りで、日常への適応に失敗し、その代償は蓄積し続け、気付けば週末になっていた。

溜まりに溜まった衣服を二回に分けて洗濯機に入れる。コインランドリーで乾燥をさせるために水分を含んだ衣類をIKEAのビニールバッグに入れ持ち上げると、ずしりと肩にのしかかる。なんのためにこんな事をしているんだろうとはたと思う。社会への復帰をしてからまだ一週間しか経っていないのに限界の際を意識し始めている。

都内のターミナル駅では毎朝信じられないくらいの人が往来している。通勤ラッシュ自体が久しぶりで新鮮に驚いている。交差する人とぶつからないようすれ違いながら「皆どうやって自分を守っているんだろう」と考える。毎日を遂行し続けるために自分を犠牲にできているのが凄い。見ず知らずの他人だけじゃなくて、自分の友達や知り合いに対しても同じ思いを抱えている。

自分にとって守る対象は自分しか居ない。自分が逃げても誰かに迷惑がかかる現状ではないからこそ人生のコマンドから[▼逃げる]が消えない。消える気配もない。この仕事を始めてから、いや、もう五年くらい前から選択肢に「現状からの逃走」が組み込まれてしまっている。

暮らしを続けるために今の仕事を続けているが、最近になって逃げ出したい気持ちが高まっている。暗い部屋で聴こえる冷蔵庫の唸り。足裏にこびり付く米粒。夜風に乗って鼻を掠めたタバコの匂い。家族も恋人も友人も、誰も居ない空間で寝ること。下の階に住んでる彼の寝息も聞こえるはずもなく、たったの一人という当然の現実を抱いて朝を迎える。少し前までは起こり得ない想像を繰り返しては一喜一憂していたがその試行は当時の自分が暇だったからで、差し迫り続ける現実に対してはどうにか生き永らえていくしかない。やるしかない。

ネガティブが輪をかけて自分を襲ってくる夜に自分を守るためにする手段が幾つかある。友達との思い出に浸ること。伸びた髪を切ること。深夜に服を捨てること。似た憂鬱を歌う曲に縋ること。

隣の席の人が持つ酒は
耐え切れなくなった時に使う起死回生の奥の手なのかも

時速36km「素晴らしい日々」


「ネガティブを潰すのはポジティブではなく没頭」という言葉がある。2月になってから小説に向き合う時間が明らかに増えた。自分を保つために、現実逃避の一種として書いている。これが仕事になるとは思えない。ただ文章を書いている時だけは何も考えなくて済む。3月末が締め切りの小説賞に応募して、その後で自分が没頭できる仕事を探したい。

気が付けばこんな時間だ。また冷蔵庫が音を立てている。


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