統合失調症のはじまり~03入院当日~

始めて 精神科Hクリニックを受診した翌日。私と息子は、自宅から車で1時間弱離れた、H病院へと向かっていた。

車の中で、「どんな病院だろうねー」「脳の機能が病気なんだから、ちゃんと入院して見てもらった方がいいよねー」など、話しかけた。

息子は、表情のない堅い顔つきで、イヤホンをし、携帯から音楽を聞いていた。

息子と向き合って話をすると、ありえないような妄想の話になってしまう。その話を聞いたら、できるだけ別の現実の話に逸らそうとするのだけれど、息子の話そうという意志が強くて、聞くことになり、するとそのうち息子は怒り出す。なんで、あの時お母さんは〇〇したんだ!と責め立てる。

それは、妄想の中の話だから、実際の私には身に覚えがない。それでも、息子には妄想と現実の区別がつかないのだから、怒りは収まらない。

1時間弱の車の中で、音楽を聴いていてくれて良かったのだと思う。

運転しながら涙が出てきたが、息子には気づかれないように気をつけた。

カーナビに案内されて、車は郊外の山の中の病院に着いた。曇っていたせいか、暗い雰囲気の病院だと感じた。

建物は山の傾斜に建てられており、いくつかあった。分かりにくい看板に従って、入院受付のある入り口を探す。

駐車場も広くないものが数カ所に分かれてあった。入院受付のある建物の正面の駐車場はいっぱいで、さらに傾斜を上へ。少し離れたが、駐車スペースを見つけて停める。

息子を促して、入院受付へ。

受付で紹介状を渡す。そして、息子に問診票を書くよう渡す。

息子は、名前・住所など書き、受診の理由のところで、私に「ここはなんて書くの?」と聞いた。

記憶が飛ぶんでしょ?

「ああ、でも、もう思い出したから。」

思い出したのは、ヤンキーと喧嘩して勝っただの警察官の知り合いの話しだの、女の子を助けただの。ホントの話ではない。

一時的にでも、高校生男子がそんな色んな事忘れてるって変だから、やっぱり記憶が無くなってたこと書きなー。

息子が問診票を書くと、空欄に私も追記した。いつから、どんな事を言い始めたか…

問診票を受付に出すと、しばらくして医師と看護師?ソーシャルワーカー?かと思われる人がきた。

待合室から別室に移り、そこで診察。問診票には細かく書いたつもりだったけど、同じようなことを聞かれた。

この医師は、30代?かと思われる男性医師で、髪は寝ぐせ?天パ?で、ベートーベンのような風貌。パソコンだけを睨み、息子の方はチラッとしか見ない。

昨日のクリニックの女医さんもそうだったけど、この、パソコンだけ見て患者をあまり見ないというのは、精神科診察のテクニックなんだろうか?患者の言動に振り回されないため?

息子の話を数分聞くと、自宅では見れませんか?と聞かれる。

一瞬、目が点だった。

昨日、入院が必要と言われたんだけど、入院しなくていいってこと?たった今、息子がありえない話をしたのに。???

そうだ、確か精神科医療は施設から地域へと移行してるんだった。入院するのには、地域で暮らすには不具合のある何かがないといけない?

私は、このまま入院させずに連れ帰り、何事も無かったかのようにすごせるかもという考えがよぎった。

でも、ちがう!ダメ!今の息子にはきちんとした治療が大事なのだ。自宅ではそれができない。安静も保てない。

「息子の話は、暴力団やヤンキーなど危険な話が多いし、そのために夜家を出てどこかに行ってしまうんです。このままだと、本当に事件などに巻き込まれる可能性もあります。自宅では、息子を守れないかもしれません。」

するとその医師は、分かりました。では、任意入院の手続きをとりましょう。と言い、数枚の書類を息子に書かせた。

入院に同意するという内容のものだった。息子は書類を読みもせず、ここに名前を書けばいいの?と、さっさと終わらせたい様子。

息子はまだ高校生だし、私が書かなくていいの?と思ったが、今後、なんで入院させたんだ!?となる可能性がある。その時に、息子が自分で書いた同意書類があると何か違うのかも。

私が書いたのは入院費用に関する書類だけだった。

それから、ではこちらへどうぞと病棟へ案内された。山の傾斜に立つ病院は、受付のある建物から階段を上がり二階へ行くが、病棟のある建物は隣で、そこの1階につながっていた。さらにエレベーターで3階へ行き、廊下を歩いて別のエレベーターに乗り換え、さらに4階へと上がった。

ずいぶん高い場所に来た気がするが、窓の外を見ると、目の前に広めの駐車場があった。山を登るようにくねくねと道があり、この広めの駐車場まで来れる。

案内してくれた看護師さんは、この建物そのものは、三階建てなんですよ。病棟は二階部分ですと教えてくれた。迷子になりそうな作りだなーと思った。

そして病棟の入口。

昔 見たようなことのあるドアがあった。鍵のついたドア。患者は、自由に病棟の外には出られない。この病棟では、許可があれば、午前と午後、決められた時間の中で、病院内の売店など他の場所に行ってもいいことになっていた。

ただ、まだその許可がおりるかわからない。息子はナースステーションの、比較的近い場所の個室になった。

「ご家族の方は、病室の方へは行けず、面会室までとなってますが、荷物とかもあるでしょうから、今日はお部屋までどうぞ。」

これは、看護師さんの、私への配慮なんだろうなー 泣きそうだもんなー

ありがとうございます。そう言って、息子と病室へ入った。

窓の外には、隣の建物の屋上が中庭のように見える。ベッドとロッカー・テレビ、内科とかの病院と変わらない。

「良かったじゃん!快適!個室だし!憧れの自分の部屋ゲットだね!」

息子は弟たちと3人一部屋だったから、ずっと一人部屋に憧れていた。私は、大げさに、いかにこの部屋が快適であるかを息子に刷り込むように話した。

テレビは許可がおりたら見れますからね。あと、ベルトなど外してください。それはこちらで預かりますね。と、持ってきた荷物は、いったん全部、紙袋さらナースステーションへ持っていかれた。携帯や財布なども。

そして、面会時間や病院内での一日の流れなど、説明を受けた。

病棟内に公衆電話があった。これ、かあさんの携帯の番号ね。とメモを渡す。

あまり、長くいてもいけない。他の患者さんの刺激になっても良くないし。

じゃ、お母さん行くね。ラッキーなことにさ、お母さんの職場近いんだよ。だから、また明日来るからさ。なにか欲しいものがあったら買ってくるよ。

すると息子は、じゃがりことゼリーが食べたい、と。

わかった!他に何か浮かんだら、また電話してね。

息子は、病棟の出入口までついてきた。ナースステーションに声をかけると、看護師さんが鍵をあけてくれた。

じゃーねー♪

手を振り、私が出ると、ドアは締まり、再び鍵がかけられた。

そこから、エレベーターを乗り継ぎ、長い廊下を歩き、屋外に出て、駐車場に行き、車を運転し、自宅に帰るまで。

涙が止まることはなかった。

こんなに涙って出るんだ。子どものように泣きじゃくりながら、一人、家に帰った。

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