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ヨーちゃんのこと

ヨースケ@HOMEこと、宮内陽輔くん。6月20日朝、急性心不全のため37歳で亡くなりました。

2008年、「パノラマ」でメジャーデビューする際のプレスキット用のインタビューが最初の出会いでした。

第一印象は、リアル・ホノカアボーイ。当時、岡田将生主演の『ホノカアボーイ』という映画が大好きで、ヨーちゃんがハワイに長期滞在していたこともあり、そんなイメージを抱きました。ハワイの太陽が匂ってくるような、自由で気ままで明るい人。けれど話していると、どこか脆いところもあって、パブリックイメージに縛られているのか太陽サンサンな曲だけではなく、いつか、もっとヨースケくんの内側に近い、DVDを借りに行く、みたいな曲も作ってねと言ったら、そのことをずっと覚えていてくれました。

あれから11年。「今年中にアルバム作る!」と宣言していた。どんな曲を作っていたのだろう。とても気になる。

今回のネットニュースのほとんどは「モンゴル800のサポートメンバー」と彼を紹介していた。違和感。いえ、もちろんヨーちゃんはそのことをとても誇りに思っていたし、ネット上の"引き"という部分で有名なバンド名は効果があることはわかるけれど。さまざまなジャンルのミュージシャンやバンドをサポートをする力量や、本分のシンガーソングライターとしての才能、そしてあの類い稀なキャラクターを思うと、これまでの経験値を生かして、これから本領を発揮するところだったのに、と、つくづく悔しさが込み上げてくる。

最近では映画『小さな恋のうた』に関わる仕事で、奔走していた印象。若い俳優さんたちの楽器指導、バンドアレンジ、劇判制作、そしてプロモーションまで。すっごく頑張っていた。そんなにニコニコ頑張れるものかね、というくらいイキイキと張り切っていた。

最後にヨーちゃんと話したのは、6月14日。映画の話や、お互いの近況報告で長電話した。あのとき、ちょっと厳しいこと言っちゃったんだな。思い返せば、ヨーちゃんには何かとうるさいことを言っていたかも。ごめんね。でも、期待するからこそではあったよ。それをいつも「そうかぁ〜」「うん、そうだね」と受け入れてくれた。その声のトーンが、今、胸に響いています。

その2日後、ヨーちゃん37歳の誕生日に、イベントでラッキーラクーンのデザイナーさんに会ったよ、と、メールをくれた。「お誕生日おめでとう、これからだねっ」と返して、既読通知が来て、そのまんま。

ご葬儀の日、私が住んでいる尾道は朝から大雨で、全部支度を終えて出かけるばかりだったけれど、雨のせいか体調も思わしくなく、無理が効かず、上京を断念してしまった。不甲斐ない思いを抱きながら一人もやもやしていたら、まったく関係のないことで友人からメールが届いた。

以前、北村匠海さんという俳優さんがとてもいいのよ〜みたいな話をしたところ、テレビを持っていない友人が「検索して写真は見たけど、動いてるところを見てないから何とも言えない」という、還暦を過ぎた二人が交わすとは思えない内容ではあるのだけれど、それならば、と、ドラマ仕立てのJTのCMの動画を探して彼女に送った。テレビで見るよりサイズの長い、Web用の完全版とかかな、と思って見始めたら、CMで流れる「想うた」を歌うキヨサクさんが映し出され、なんとその傍らに、ギターを弾くヨースケ@HOMEがっ!

うわぁ〜〜〜〜〜、と、一瞬、怯みました。怖いよね、だって。

だいぶ前にJTのCMでキヨサクさんのお手伝いをしたという話は聞いていたけれど、まさか映像に登場するとは。

「モリタさぁ〜〜ん! 今日なんで来てくれないんスかぁ〜〜っ」って声が聞こえてきそうだった。そう友人に伝えると、「違うよ、きっとヨースケくんのほうからお別れに来てくれたんだよ」と言われ、そうか、そうかもしれないと思った。

ただの偶然と言えば、それまで。でも、そう思いたい私がいました。



2010年5月、<LuckyRaccoonNight vol.5>(at 国際フォーラム)。ロゴセット撤去時にこっそり撮影。親友、菅原龍平くんと。KAN、TRICERATOPSとともにコックサンズ結成、あらゆる場面で音楽的貢献を果たした。KANくんはこの二人を「ヤングプレッシャーズ」と命名。


2011年12月、下北沢のCOWCOW善しさんのギャラリー(現在はありません)で<ラッキーラクーン展>開催中に行われた、PA一切なしの、生声ライブ。場所がわからず開演時間に間に合わないと連絡があったお客さんを、目印のわかるところまで迎えに行ってくれたのは他ならぬヨーちゃんでした。


KAN、ジョンB、菅原龍平、ヨースケ@HOMEによる、<塩でかぶれる男子会>改<カブレルズ>。現在発表されているオリジナル「Chu Chu Chu」(名曲!)のほか、「ヨースケと一緒に作った曲があるので、そのうち発表します」と、KANくんがラジオで言ってましたね。


2012年2月、<連載おとといミーティング:ジャルジャルちゃん>にゲスト出演。後藤くんにウクレレを教えるの図。ジャルジャルは公式ツイッターで以下のコメントを発表。『「ジャルジャルちゃん」というイベントに出演くださった、ヨースケ@HOMEさん。【ジャルジャルなう~♪】を一緒に歌ったのは、今でもジャルジャルにとって忘れられない思い出です!ヨースケさんに届くようこれからもジャルジャルし続けます!ご冥福をお祈りいたします』(6月24日の投稿より)


デビュー曲「パノラマ」の歌詞「僕にないもん君が持ってんの」をお互い体現する二人。<LuckyRaccoonNight vol.3 - 4>で結成したラッキーナンバーズのオリジナル、我が屋号を冠した「Birthdays!」や「ラッキーなメンバーズ」のハーモニーは永遠に私の宝物です。ありがとう、ヤングプレッシャーズ!


2013年7月、広島県尾道に移住する私を送り出す会をKANくんが主催してくれました。その日のための曲を作ってこいと、KANくんから半ば命令のような形で作ってきた「Circle」を初披露中のヨーちゃん。動画から切り取りのためブレてますが、会に出席していた名だたるボーカリストたちに見守られながら、堂々と歌ってます。


それなのに。日に日に寂しさは募る。悲しみは消えないけれど、残された私たちはいつもあなたと一緒にいるでしょう。ヨーちゃん、清志郎さんの隣に飾ったよ。



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