見出し画像

【軍歴証明】第1話:県庁に問い合わせる。

戦争体験を語り継ぐために、どんな些細な情報でも欲しい。

前回の記事でのイベントで仕入れた情報
「軍歴証明を取得する」の記録。

まずは…ググった。

「軍歴証明 岐阜」と調べると、すでに軍歴証明を取得した岐阜県民の方が数名、ご丁寧にブログに記してくれている記事がトップの方に上がった。
(このnoteも、先にブログを記してくれたブロガーさんたちの多大な恩恵を受け、その恩恵を次に送りたいという想いで書いている。)

ブログ記事をありがたく読んでみると、どうやら戸籍が必要らしい。
だれの戸籍が本当に必要なのかはケースバイケースのようで、やみくもに戸籍を取って「不要です」と言われるのは無駄足なので、これは岐阜県庁に直接聞いてみるしかないと思った。

岐阜県庁のホームページには、申請方法など全く記されていない。
恩給の管轄をしているのが、「地域福祉課」という課ということは分かり、その課で軍歴証明も扱っているようだ。

電話が苦手なわたし。
幸いにも各課のメールアドレスが載っており、地域福祉課に下記の旨のメールを送った。

『下記2名の軍歴証明を請求するために必要な書類は何か、教えて欲しい。

祖父
名前、生年月日

祖父の弟(私から見ると大叔父)
名前、生年月日  』



ところで、
祖父の弟の生年月日まで知っていたのは、なぜか?

それは、祖父が亡くなった後のこと。
何かの手続きで、祖父が15歳の時に本籍のあった自治体での戸籍が必要だったらしい。

祖父の出生地は岐阜市だったが、祖父の父(わたしから見ると曾祖父)が、約15年余り、実家から世帯分離していなかったようで、
祖父の15歳時点での本籍は、揖斐川町谷汲。
父が車で約45分かけて取りに行ったそうな。

祖父の伯父(曾祖父の兄)が戸主になっている、ふるーーーい戸籍(解読難)が、実家にあったのを以前見させてもらい、メモを取っていた。

ちなみに、古い戸籍。
自分のご先祖さまたち、ご先祖さまの親戚がどのような足跡を辿ったのか、その一部が垣間見れる資料で、とても興味深かった。
古い戸籍だけで数記事書けそうなのだが、脱線すするので、ここでは省略。

休日にメールを送り、翌日の午前中に電話があった。
想定通りの流れだ。

電話口でのネイティブ岐阜弁が、心地よい。

大まかには、
●祖父は3親等なので私でも申請できるが、大叔父は4親等にあたるので、私の父からなら申請可能。

●まず、対象者の兵歴簿があるかどうか調べてみないと。あれば申請手続きへ。

「生年月日からすると、終戦時21~22歳ですね。昭和19年召集とかだと、兵歴が記録されてない可能性があるんですよ。」

ほほう。
敗戦が濃厚になってきた末期は、兵士ひとりひとりの足取りなんて、記録を残す暇なんてなかった…
と言われても納得がいく。

でも、前述の古い戸籍に、大叔父の戦没地(中国での日本軍の病院だと思われる)が記載されていたので、おおまかにでも記録が残っていると期待する。

それと、細かいことをいろいろ聞かれた。
こんなに聞かれるなら、メールに書いておけばよかったと思ったので、参考までに記録しておく。

・復員か、戦没か
・陸軍か、海軍か
(地方自治体で管理しているのは陸軍のみ)
・終戦前後の本籍住所
(前述の古い戸籍で住所まで答えられたが、そこまで分からなくても市町村名だけでも調べてくれそうだった)

メールに記載した氏名と生年月日、
電話で聞かれた追加情報を基に、兵歴簿を探すようだ。

「お調べして、本日夕方までにはお電話します。」
ということで、一旦電話を終えた。

そして、約束通り、当日中に折り返しの電話がかかってきた。

(続く)

本日もお読みいただき、ありがとうございます。

※このトピックで書く投稿全般について
・祖父たちの戦争体験や人生
・戦争体験の収集の記録
・「戦争体験を語り継ぐこと」を考える
について、記録と情報発信を目的にしたnoteです。
歴史批評や政治的発言、歴史認識問題についての言及をする意図はございませんので、ご理解ください。

サポート、ありがとうございます!いただいたサポートは「平和」「貧困」「難民」をキーワードとして活動している国内外の団体への寄付に充てさせていただきます。みなさんのサポートが巡り巡って、世界平和につながりますように☆