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人一倍夢を語って人一倍夢がなかった

夢がなんだとか自由がなんだとか人一倍語って生きてきたけど、人一倍夢がなかった。
夢を持つ勇気がなかった。
覚悟も、自信も、何も無かった。

簡単な幼稚園受験をしただけで高校受験まで免除されてしまったのだから完璧に安全で守られた水槽の中で育ったようなものだ。水温は大人にしっかりと管理され、清潔な場所で与えられたエサと酸素を取り込み分解していればそれだけで将来生きていくことになんの支障もきたさなかった。
私はその小さな水槽の中で、外の世界には外れる事は許されないレールがあると思い込んでいた。
皆決まって進むレールに沿わないと、世界から孤立して存在ごと許されない者になってしまうのでは無いかと怯えていた。恐らく誰よりも。
だがレールから外れいても尚成功を収める人間は存在する。私は彼らが存在する事それ自体に惹き寄せられ、外れた道を力強く歩む彼らを英雄と見た。

学校が好きだった。
友達がいて、先生がいて、居場所があった。

家が嫌いだった。
パパがいて、ママがいて、居場所がなかった。

学校に行って宿題をして、怒られないように怒鳴られないようにみんなの顔色と雰囲気を小さな頭に目一杯詰め込んで、整理して、把握して、いい子でいられるように自分の立場をわきまえて行動した。
それでも私の中の精一杯は他から見たら足りないのか、なぜか悪目立ちする。地毛に黒いランドセルと黒い制服をまとって本を読みながら登校していた小学生時代でさえ目立つからと言う理由で無意味に怒られる対象になっていたのだからどうしようもない。皆と同じようにルールを守って行動してもなぜか叱られる。

レールから外れること、人と違うことをする事に異常な魅力を感じていた。周りを見てもそこまで社会の構図に執着している友達は多くなかった。
でもクリエイティブな事に興味のある友達はおそらく多い方で、皆レールに縛られすぎずどんな道も肯定してくれた。友達は執着していないだけで、縛られてはいなかったのだとおもう。
私は親や先生が言うことは絶対だと思っていたから人より縛られてしまった。縛られれば縛られるほど、レールの外が美しく見えた。
悪目立ちする自分が、悪いところを逆手に取って魅力に変えることが出来たなら、レールの外では輝けると思った。

頭の中ではたくさんの想像が膨らんで、決められた道を決められたまま歩かずになりたい自分になる計画が次々に立てられていった。
夢を膨らませるのに比例して気持ちも膨らみ、夢や自由を語るようになった。
でも結局は、レールを外れる勇気も覚悟も自信も何も無かった。
高校2年生の終わり頃から大学受験に向けて本格的に周りも動き出し、一緒に成長してきた友達がみんな大人になって離れていってしまう感覚だった。周りはどんどん進路を決めていくのに自分は自分がどこの大学に行けば良いのか分からなかった。大学進学以外の道は無意識下で閉ざされ、散々語った夢物語の鮮やかな色が一気にモノクロになったようだった。

今でもあの水槽が恋しくなることがある。
もうすぐ3年が経つ。
路頭に迷ってレールを少し進んだ後、覚悟を決めて外れた世界に挑戦することが出来た。

今は夢を追う勇気も、覚悟もある。
自信は少しないけれど、私に夢を与えた英雄のように力強く進み続けようとしている。
私に勇気や覚悟をくれたのは紛れなく「M」の活動であり、そこに関わったすべての人によって今の私の人生がある。私の人生のページに、確実に、永遠に刻まれる存在だった。

レールの外のこの世界で
いつか必ず輝くから

いつか「M」に胸を張れるように。

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