FF14黄金のレガシーの後半シナリオについて(否定的、FF9好き)

まず最初にお伝えしたいのがこれはいわゆる「お気持ち表明」であるということです。運営に文句言う人は黙ってやめろという方は読むのをやめていただきたいです。
シナリオについて否定的な意見を多分に含み、詳細について見直して確認などもしていないため間違えていることも多いと思います。申し訳ありません。
それでも、歴代FFをやってきてFF14をやっている人間のうちの一人として、どうしてもこれからのFF14でのシナリオを今一度改めて欲しいとの祈りから書いています。
FF14を遊んでいるのであってFF9ではないこともわかっています。もちろんFF9を好きで今回の黄金のレガシーを楽しめた方もたくさんいるということもわかっています。楽しめなくてすみません。

昨日(7/5)、現時点でのFF14黄金のレガシーのメインクエストをクリアしました。
私はファイナルファンタジーシリーズを複数プレイした中でFF9が一番好きで、人生で一番好きなゲームでもあります。そんな私が黄金のレガシーをクリアして思ったことは
「こんな風に扱われるならいっそFF9の要素なんて出てこないほうが良かった」
です。

名詞も、台詞も、曲も、そこで使う必然性が感じられない、FF9である意味がない。

FF9の名言を入れればFF9をプレイしたことのある人間は喜ぶと思いましたか。大人気のFF14で取り上げてあげればFF9をやりたいと思う人が増えると思いましたか。
愛も敬意も感じられないオマージュは、とてもではないですが受け入れがたく、辛いです。

例えば「いつか帰るところ」という台詞オマージュがFF14内でもありましたが、誰がどのシーンで言いましたか。FF9の中の名前を冠した国の女王に対して敵対している勢力の人間が言いました。
例えばFF9の曲が流れましたが、FF9の中から選ぶにしてもその曲であるべきでしたか。FF9が好きな人であれば、FF9に敬意を持っている人であれば、もっと違う曲を選んだと思います。
FF9で最初に訪れるゲームを印象付ける街が、FF14ではFF9の中でもこんなになっていないほどボロボロになった状態で初めてプレイヤーの前に現れます。エキルレでも回さなければならないIDで、その街が破壊されていく様を見せつけられます。

こういったFF9に対する愛の無い引用、オマージュが起きたことの原因はシナリオの問題にあるのではないかと個人的には思います。
それは"感動させる"シナリオを作るために死を道具として使っているからだと思います。そのために必要な舞台装置として、FF9を使ったが為にこうなったのではないでしょうか。

話題になって売れる、そのことが大事であることはもちろんわかります。
ですが"エモくて""感動する"シナリオが毎回必要なのでしょうか。
漆黒、暁月とエモくて感動する人気の高いシナリオが続きました。売上も伸びました。それはとても素晴らしくて素敵なことです。しかしそれはそのシナリオ単体が良かったからではなく、今までプレイヤー一人一人がプレイしてきた旅の軌跡の集大成として素晴らしい形で描かれていたからだと思います。

今回の黄金のレガシーはこれから先FF14がまた新しい旅路を歩むための序章ではないのでしょうか。序章であるということは積み重ねた時間も少なく、新しく出せることも限られます。
その中で感動を作り上げようとして手軽な死を使っていませんか。

人が死ぬと悲しいです。人が残した後悔は、未練は、人の涙を誘います。死んだ後でもその人が救われれば良かったねと感動する人も多いでしょう。

ですが思い入れの無い、必然性の無い死によって作られた感動は長続きしません。今回のシナリオでもそうです。たくさんの人が最終エリアで死の思い出を死の続きを語りましたね。それをプレイヤーの手で終わらせましたね。
次はどうするんでしょうか。また新しいキャラクターを出して、無念にも死んで可哀想、その繰り返しをするつもりでしょうか。死は感動のための道具ではありません。キャラクターを死ぬためだけに作り上げないでください。

FF14黄金のレガシーの今回のシナリオは感動させるという最後のために様々な舞台装置が用意されています。その舞台装置としてたまたまFF9が使われた。死生観や世界観で言えばFF10やFF13のほうが余程近かったと思います(もちろんFF10、FF13だったらこういう扱いをしていいという意味では決してありません)。

こういった作品本来の持つメッセージを無視した引用、オマージュはFF9で最後にしていただきたい。そう切に願います。黄金のレガシーは今後のシナリオももうあらかたできていて今さら変更などできないと思います。もうFF9が踏みにじられる(と私個人が感じる)のは仕方ないことだと思います。ですが今後、他の歴代FFを引用、オマージュする時には、どうかその作品のことが大好きな人がいてその人がどう思うのだろうともう一度踏みとどまって考えていただきたいです。
シナリオを描く上で、こういった構想があって、そこに適合しているのはこの作品がぴったりだから、そういう理由で描いてほしい。こういった構想があって、こういう役割がほしいから、とりあえずこの作品でも使おう、そういう理由では描かないでほしい。

私が一番今心配なのはアライアンスで取り上げられると言われているFF11です。FF11もFF14と同じオンラインゲームであり、長く続き、それゆえたくさんの思い出を抱えているかたがたくさんいます。その人たちが傷つかないか、今一度たくさんの社内の人たちで見直してみてほしいです。
主語を大きくして、問題を大きくしようと思われるかたもいるかもしれません。そうです、私がもう傷つきたくありません。大好きだったんです、FF9という作品が。最初にも述べた通りただの私のお気持ち表明です。

死は感動の道具として便利ですが、長続きしない劇薬です。FF14のシナリオを書かれるみなさまは、毎回そんなものを使わずともわくわくさせたり、感動させたり、そういうことが出来ると信じています。

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