だから私は文章を書く。
幼い頃から文章を書くことが好きだった。人より得意であった、と思う。しかし、その文章をこんな風に発信するというのは考えてもみなかった。
これは私の中で新しい挑戦なのだ。
文章を書き始めたきっかけ、それは恋人との別れであったと思う。当時の心境は、輝日記の「失恋のピエロ」を見て頂きたい。とにかく私にとって初めての恋人で何をどうしたら良いのか分からなかったことを覚えている。
高校を卒業し、私は就職、相手は大学生となった。
あの人は言った、「もし嫌なことあったらなんでも話して欲しい」と。私はその言葉をまんま鵜呑みにし、毎日毎日愚痴をこぼしていた。ふと、相手が私の愚痴に面倒くさがっているかも、と考えたが気のせいだろうと紛らわした。あの時気づいていれば・・・。今でも後悔している。
日に日に相手からの返信が遅くなり、話すことが無くなり遂には別れてしまった。要するに私は冷められたのだ。
なぜなのか分からなかった。初めてなりに精一杯良い恋人になろうと頑張ってきたつもりだったのに、、。
そんな折、友に言われたのが、「あなたは愚痴が多い」と。今考えれば理解できる、誰だって他人の愚痴なんて聞きたくないし、興味無い。だが、当時の私にとっては、愚痴を話しているというより、ただ自分の一番の理解者に、辛かった、という感情ごと抱きしめて欲しかったのだ、、、。
私は考えた。なぜこんなにも私は愚痴を話すのか。そして行き着いた答えが2つある。
一点目、私は素直では無い。反抗心の塊であること。上司や教育係に言われた言葉に対して、必ず疑問を持っていた。まるでそれはおかしいことだと反論するかのように。
二点目、私の感情を私自身が理解していないこと。仕事中感じていたモヤモヤの正体が分からず、人に聞いてもらう際に、勝手に自分の口から発せられる言葉で自分自身の感情を整理していた。
しかしこの二点が分かったところで、肝心の聞いてくれる相手がいなければ成り立たない。友達や家族にこの方法を試したとこで、恋人と同じように私から離れていくのは目に見えている。もうあんな寂しい思いしたくない。
そこで考えたのが、文を書くことだ。
文を書くことで私が何を言いたいのかが分かってくる。気持ちがまとまることで人に愚痴らなくて済む。
言わば文章は私にとって、一番の理解者で心の友なのだ。
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