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質問に喜び、質問に悲しむ。


私は人と話す時、よく質問をする。
そして質問を大事にしている。

そんな質問について、いろいろ考えてみた。

質問を大事にする理由

1.ちゃんと話を理解したいから

基本的に、話し手と聞き手は同じ人間ではないので絶対的に解釈の違いが起きる。

"赤い車"と聞いて、頭に思い浮かべるカタチやイメージは人それぞれ違う。

この違いが何か問題を引き起こさないのであれば「どんなカタチ?」など質問をしなくても良いと思う。

だが私は、中学生の頃に解釈の違いから人格を傷つけられた経験があるため、人や情景を勝手に決めつけないようにしている。

そのためどんな話でも話し手の情報と私が受け取る情報を刷り合わせ、ちゃんと話を理解するため質問をしている。

2.人の話に興味があるから

人の話には、その人にしか抱けない想いが溢れている。
そこにはアイデンティティが色濃く反映されており、それを知ることは未知の世界を知るようにワクワクしてしまう。

そしてこの未知を知りたいがため「なんで〜なの?」と質問を繰り返してしまう。


質問にはパワーがある

この様に、日常的に質問をしている私だがこの質問をする行為にはすごくパワーがある。

どんなパワーかというと、人と距離を縮められるパワーだ。

子どもに言い聞かせるような言い回しに聞こえそうな、身も蓋もない表現であるが

実際、私はこのパワーを用いてかなりの人と距離を縮めることを実現し、ひいては好かれるということにも成功した。

また、「いつも話していて頭が整理するし、気づきが多い!」と感謝されることもしばしば。

きっとこのパワーの要因は、
誰もが自分の話をしたいという欲を満たすこと+相手への関心を示すことを質問という手段を用いて実現できるからなのだと思う。

そんな感じで、「あ〜質問すると嬉しいことが多いなぁ〜」なんて上機嫌になることも。


質問をしてくれる人は大切

ある日、久しぶりに話を交わした友人がいた。その友人との会話に私は「なんかいつもと違うなぁ。」と軽い違和感を覚えた。
だがこの違和感は決してネガティブなものではなかった。

そして私はその違和感の原因はなんだろうと考えてみた。
そして1つの答えに辿りついた。

それはその人との会話中、"質問と返答の比率が互いに等しい"とということだった。

簡単に言うと同じくらい質問して、同じくらい答えているということだ。

これってなんだかお互いが、尊重し合っているように感じる。


そして同時にもう1つの考えが浮かんだ。

このやりとりに違和感を抱いたということは、
「質問をしてくれる人って意外と少ないのかなぁ」と。

質問することで、たっくさんの良いことに出会えたけれど、

やっぱり、私もたまには自分の話を掘り下げられ、たくさん話したいなぁ〜

と思ってしまった。笑

そんなことを思って数分後、やっぱり私は質問をしていた。




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