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命を守る必死の子育て~障害のある子を授かって Vol.1


恵理さんは中学2年と年長さんの娘さんと、小学6年の息子さんを育てるお母さんだ。

息子の大雅くんに重度の知的障害と重度の肢体不自由があり、『大島分類』と呼ばれる分類表で、寝たきり/座れる+IQ35以下の『重症心身障害児』に該当する。
https://www.normanet.ne.jp/~ww100092/network/inochi/page1.html

恵理さんとは、市内のこどもの発達支援センターの母子通園クラスで知り合った。爽やかで柔和な笑顔が恵理さんの魅力。


「障害のある子と家族のストーリーを紹介したい。大雅くんとの暮らしについてあらためて話を聴かせてほしい」とリクエストすると、即快諾。その翌日にインタビューの場を持った。ゆっくり会ったのは数年ぶり。恵理さんの今の気持ちを聞くところから、インタビューを始めた。


「今は、ホッとしてる。よくここまで育てられたなぁって」

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「死んでしまったらどうしよう」医療の素人がわが子の命を守る

大雅くんは産まれた時に呼吸がうまくいかず、すぐにNICUに搬送された。気管に挿管し、人工呼吸器を装着。生後42日で気管切開手術をした。身体障害者・呼吸器障害1種1級に認定された。

恵理さんは、病院で医療ケアと医療機器の取り扱い方法の指導を受けた。そして、4か月12日目に大雅くんは退院し、医療に関して素人の恵理さんが全面的に医療的ケアを担う生活が始まった。

大雅くんは気管を切開し、声帯のマヒもあるため、唾液がすべて全部器官に入ってしまう。唾液は肺にたまっていき、すぐに、まるでおぼれているような状態になる。呼吸器の警報アラームは鳴りっぱなしだ。大雅くんは、ゲボゲボと苦しむ。恵理さんが吸引してもしてもおいつかない。放っておけば、気管がつまって、窒息する。恵理さんは大雅くんにずっとつきっきりだった。「自分たちが無知なせいで、死んでしまったらどうしよう」いつも恐怖に怯える日々だった。

けいれんも頻繁に起きた。少しの刺激で発作も起きた。度々、肺炎にもなった。RSウィルスや気管支炎、肺炎などで入退院を繰り返した。「常に大雅が死んでしまうかもしれないと考えていた」と恵理さんは言った。極度の緊張感とストレスにさらされる。細切れの睡眠時間で疲労が蓄積する。休みなしの介護を2歳の長女を育てながら続けるのだ。訪問診療、訪問看護、ヘルパーさんなどの手を週に数回借りながら、とはいえ、並大抵のことではない。


子どもの目力を信じる

大雅くんが年長の時、食道と気管を完全に分離する「気管分離」という手術を受けた。
「手術の後、唾液が気管にたれこまなくなって、呼吸がぐんと楽になったの。呼吸が楽になったから、体も大きくなった。肺炎にも全然かからなくなって、入院も減って。命を守ることが何よりも最優先だった生活から、成長や生活の質(QOL)の向上にも目を向けることができるようになったんだ」

結果、よいことづくめの手術だった。すると恵理さんが言った。
「誰も手術を提案してくれなかったんだ。私が「やってください」って頼んだの。でも、お医者さんはなぜやるんだ?という反応だった」
「え?どうして?」
「手術をする必要性は、医療的には迫られてなかったから。命の危機にあったわけじゃないから」
今のまま家で過ごせば、このまま生きられる。全身麻酔をするリスクを背負って手術する必要はない。それが周囲の考えだったのだ。

「大雅は、療育を受けたり、学校にいけるような子じゃないでしょう、って医者にもまわりの人達にも、思われていた。でも、大雅をみてると、目に力があったから」
恵理さんは大雅くんに可能性を感じていた。療育をして成長を促してあげたかった。学校に行って世界を広げてあげたかった。恵理さんはあきらめなかった。

「がんばって主張しつづけられたのは、大雅を見ていると、あまりにも苦しそうだったから。24時間おぼれているってすごく苦しいだろうな、って思った。楽にしてあげたかった」
恵理さんは昔の大雅くんの様子を思い出したのか、涙をポロポロこぼした。

術後、大雅くんは劇的によくなった。
「発作が起きてしまうから、触ることも最低限に控えて、びくびく接してきたのが、呼吸が楽になることで発作につながる緊張が弱まり、かわいい、かわいいと、くっついて接することができるようになった。吸引が減り、体力がつき、どこにでも出かけられるようになった。もう大丈夫ってホッとした」


10年前の自分にかけたい言葉

恵理さんに「10年前の自分に言葉をかけるとしたら?」と聞いてみた。
「楽になるから大丈夫だよ、って伝えたい。あの頃はずっと、どうなるかわからない、死んじゃうかもしれないって怖さ、恐怖がつきまとってた」

「今でも命はどうなるかわからないというのはあるけれど、覚悟もほんとはできていないかもしれないけれど、今、どうなっても、納得できるな。本人がどう思っているかはわからないけれど、学校にも行ってるし、いろんな人とも関われるようになった。それなりに体験できている。だから、今、どうなっても、納得できる」

今、どうなっても、納得できる……恵理さんの肚の据わった強さを感じる。
「死んでしまうかもしれない」と24時間、恐怖に怯えていた恵理さんはもういない。やれることはやってきた。手を尽くしてきたからこそ、言えるのだと思う。

手術により呼吸が楽になった大雅くんはその春、小学校に入学した。そこにも苦労と喜びがあった。次回に紹介したい。



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