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期間限定・今日の服にいたるまでの話(私の自問自答ファッション)

せっかくなので、イベント当日に着ていた私の自問自答後のファッションについて、書いておこうかなと思います!

自問自答ファッション講座を受けた時、実は自分の着る服に何か問題があったわけではありませんでした。ただ「ファッション」という世界には苦しめられたし、とてもうとかったところがあります。
でも特別おしゃれでなくても、ビジネスはそこそこ軌道に乗り、毎日通勤するタイプのライフスタイルからは離れて「自分のビジネスで食っていける」状態になりました。

それにドレスアップする必要も、何ならもうジャケットやスーツ、ビジネスファッションをする必要さえなくなりました。
逆に、したければ好きにしたらという感じです。
自由!

ところが、自由なのに自由に服を選ぶことは一切ありませんでした。
それ以前に、子どもの頃は「おしゃれなんかバカのすること!」と親に言われ、基本おさがりか、年に1~2回通販のセシールで20色くらいあるポロシャツ(たぶん2000円以下)から「どの色がいい?」と選ぶというイベントくらいしか服を自ら選ぶという機会はなかったです。もっとあったのかもしれませんが、小学校入学式の時にレースのついたブラウスを選ばせてくれた時以上の服による祝福の記憶はありません。
あまり裕福ではなかったためだと思うのですが、思い返すと学校の制服も冬服のスカートをもらえず夏用の薄いもの(色は紺で形も同じなので)のままで、こそこそと教室の端で男子が「あいつのスカート透けてねえ?」と言うのが聞こえて、はじめて制服のスカートにも冬物があると知りました。
適切な衣服が与えられなかった、という側面も大きかったのだと思うのですが、それを知るのはずっと後になってからの事です。
なので、裕福でないこと(もっと言えば貧困)と、田舎っぽいおしゃれをしてもしなくても何かを言われる人間関係の密度とともに、私の最初の衣服感覚は作られていったのだと思います。

贅沢であればよいかというとそうでもないのでしょうが、圧倒的に「世間知らず」「社会を知らない」というマイナススタートでした。

が、まあなんとか、社会は過剰に着飾る者よりも着飾ることを放棄した個性のない人間のほうを社会性があると判断する傾向にあるので(まさしく無難=プラスの面よりマイナス面がないことを良しとする)、適当にやっていても生きることはできるのです。

―――という、どこにでもあるような人生を生きてきました。
そして自分にとってファッションは弱点だという事もわかっていましたが、頑張って取り組んだところでいうほどメリットも多くない事のように思っていました。

そいういう自分の弱点で、しかも頑張ったところでメリットがあまりなさそうなことに、チャレンジしないと人生が動かない事ってあります。

ということで、自問自答ファッション講座を受けたのです。
ファッションについて学びたいという時にイメコン系にいかなかったり、今よりは有名ではない頃のあきやさんに申し込んだのは、私個人の野生の勘という感じです。

そして2年半、過剰に高価なブランドバッグを試着に行き、信じられないほど高価で硬くて痛い靴を買って一年かけて履き慣らし、選びに選んで高くてたいしてモノが入らないバッグを買い、ハイブランドで服を試着し、青山の路地奥にある有名ブランドの路面店に行ってショーピースの新作を試着して「似合います!」「着れます!」「買います!!」となって、10万円を支払い、そのスカートを買ったことをおしゃれ上手たちが「本当に買ったの!?すごい!!これはいいやつを買ったね!!」と全力で褒めてくれて、さらに良いファッションを教えてくれたり、新しいビジュアルを私に授けてくれるという、怒涛の展開になって、そうして迎えたのが3/26の自問自答ファッション×ムーンプランナーのリアルイベントでした。

ドリス・ヴァン・ノッテンのギラギラスカート

「家賃より高い靴」というファッション講座でのパンチラインを受けて買ったチャーチの靴からはじまった、私のファッションの戦いですが、間違いなく受講時から約2年後に買った、このスカートがひとつの山場でした。

チャーチの靴という第一歩。
忠臣蔵と言われた(いや、私が言ったのですが)、メゾンマルジェラの5AC。
このふたつが、私の中でとても大きなピークであり、転換ポイントであり、私を導く存在になったのですが、それに匹敵する1枚です。

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