ブックオフと車校とわたし

流行りのnoteを開設したものの俳句やら短歌やらについて考えていることは上手くオチがつかず、かといってネタもないので、帰省の電車に揺られつつわたしが車校に通った話を残そうと思う。これはわたしがときどき楽しくときどきキレながら車校に通った壮絶なバトルの記録だ。
BGMはつばきファクトリーの「低温火傷」を推奨する。この理由も後述する。メチャクチャ読みづらい可能性大だが、わたしが(心理的に)暴れながら車校に通う話が読みたいご奇特な方は読んでいただければと思う。ちなみに「低温火傷」のリンクも貼っておく。

レッツエンジョイ車校!

【ことの発端】

そもそもあんまり運転免許をとりたいという願望がなかったが、車校に通うのを渋っていると「運転免許とらなきゃ人じゃない」などと母に言われてしまう。めっちゃ理不尽。だが別に通わない理由もないので、春休みのあいだ地元の車校に通うことになった。大阪で学校行きながら車校に通うという選択肢もあったが、大阪府の交通量にビビってやめた。
わたしが通ったのは「スーパー短期」というコースで、最短2週間で免許がとれるやつだ。ちなみにAT。「地元の同級生は2週間でとれたらしい」と聞いてわたしも絶対2週間で卒業してやる……と謎に闘志を燃やした。あと「女の子は男の子より運転苦手でしょ」と言われたのもわたしのバトル精神に油を注いだ。んなこと知らんわ。


【入学から1週間くらい】

このへんの記憶はあんまりないが(かなり記憶が適当な人間なので許されたい)たぶんそれなりに楽しんでいたと思う。暗記は得意なので筆記試験は大丈夫そうだったが、実技にだいぶ苦労した。
車校に通ったことがない人のために書いておくと、車校で2回実技試験と1回筆記試験があり、これに合格すると卒業、免許センター(外部)で筆記試験に合格すると免許を交付してもらえる、という流れである。車校の中のコースで練習→試験(実技・筆記)→仮免取得→路上教習(実際に外の道路を走る)→試験(実技)→卒業ということだ。
わたしの担当インストラクターだったMさんは早くからわたしが若干運転に不向きであることを悟っていた(わたしは悟っていなかった)。残念ながらわたしは同時に二つのことができないタイプなので、運転操作をしながら道路状況を確認し判断するのがなんか無理だったのだ。あと1か10かみたいな人間なので加減がよくわかんなくてまともに運転するのもなかなか大変だった。アクセルの踏み具合めちゃむずくないか?

わたしが自身の運転の下手くそさを最初に感づいたのは入校から何日かしたあとだった。「○○さん(わたしの苗字)○○ワールドあるでしょ、人の話聞いてないとか」とMさんに言われてしまったのがファーストインパクトだ。ワールドかはともかく、事実、故意でなく人の話の3割は聞いてない。(人の話を聞いているうちに無意識下で脳内連想が始まり気づいたら話と全然違うことを考えてること、ない?)親に言ったら「バレてるじゃん」と言われた。かなしい。
そのときは「すでにわたしの人間としてのあり方がバレているのか……恐ろしいな……」とだけ思っていたが、あとから思うと暗に「お前は別のひとつのことに没入しがちだから運転できてないぞ」と言われていたような気がする。


【地獄・仮免試験】

まあとりあえず基本の操作ができるようになって(記憶力はあるので)、ついに仮免試験に挑戦するときがきた。先述のとおり「スーパー短期」であるため、1週間ほど車校のコースをぐるぐるしたらもう試験だった。
仮免試験を受けるにあたって、懸念ポイントがあった。あまたの受験生を苦しめたS字・クランクである。 S字はその名の通りS字型にカーブした道を通り抜けるコース、クランクはS字がかくかくしてるバージョンだと思ってもらえたらいい。卍の一画目みたいな(どこが一画目だ?)。
この道がなぜ難所かというと、道が車一台分の幅しかないためである。道が狭いので、少しでもハンドルを切るタイミングを逃せば歩道にタイヤが乗り上げてしまい(脱輪)、失格となる。「これほんとの道路だったら人の足轢いてるからね」とインストラクターに言われた。そりゃそうやな。

最初に受験したときは(最初……)クランク成功率50%、S字成功率70%くらいだったので、まあ運に任せてがんばろうと思った。運転を運任せにするな(パンチ)
そして迎えた仮免1回目の受験、結果はもうおわかりの通りである。クランクでの脱輪により不合格。
わたしの2週間で仮免とるぞスケジュールはあっけなく崩れ去った。メンタルよわよわなのでちょっと泣いた。よわよわメンタルを回復するために帰りにアニメイトで推しのヘアクリップを買って帰った。人は散財すると元気になるのだ。

仮免に不合格になるとそのあと1時間補習をつけてから再試験となる。何度も言うがスーパー短期コースなので優先的に運転させてもらえ、もう次の日には2度目の仮免試験を受けることになった。ちなみに悲しいのでさらさら流すが、また脱輪により不合格であった。
自分が不合格なのも悲しいが、わたしの悲しさをさらに煽るのは名も知らぬスーパー短期同期入校生たちが次々に仮免試験を突破していくことだった。見知った顔ぶれはいつの間にか先に進んでゆき、わたしだけ取り残されていった。
車校から歩いて15分くらいのところにブックオフがあるのだが、辛すぎて空き時間にブックオフまでふらふら歩いた。物体としての本が好きなので、本に囲まれているだけでずいぶん気が紛れた。

わたしの苦しみは今のわたしには再現しえない部分もあるので、わたしの当時のツイートを参考にしようと思う。荒れまくっているようすを感じ取ってほしい。

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車校のロビーには有線が流れていたのだが、試験に失敗して帰ってくると必ずつばきファクトリーの「低温火傷」が流れていた。未だに低温火傷を聞くと車校のロビーでテレビにオリンピックの映像が流れているようすを鮮明に思い出す。
ちなみに「低温火傷」はめっちゃいい曲なので聞いてね!ツイッターで「00年代ガンダムのOPみたい」と言われていてとてもわかりみが深かった。

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「これハンコ押すとこ全部埋まったらどうなるんですか」とインストラクターに尋ねたら「上から紙を貼る」と言われた。それだけは絶対いやだと思った。

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3月になると卒業ほやほやの高校生たちがたくさんやってくる。島からも車校のバスが出ていて多くの高校生を見た

こんな感じで暴れながら3回目の受験。クランク脱輪で不合格。

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だいぶ暴れているようすが伺える。小学3年生のとき跳び箱が飛べず給食の時間に居残りさせられたことを根に持っている。

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仮免試験は「修了検定」という名前だった。コースは3通り、すべてのコースの覇者となった。不名誉。

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もともと人付き合いも苦手で勉強と文章しかとりえのない教室の隅でイラスト描いてる地味眼鏡オタクだった。小学生の頃に跳び箱が跳べなくてクラスで2人だけ居残りさせられた悔しさみたいに、久々にどうにもならないことにぶち当たった感覚だった。
できないことにぶつかると、そうだ、自分何にもできないんだった、ということを思い出した。こういう劣等感をいつの間に忘れていたんだろう。高校の部活でそこそこ活躍し、名の知れた大学に通り、すっかりそういう感覚を忘れていた。思い出せ、お前は何もできなくて苦しんだ義務教育期間を忘れたのか。自分の忘れていた感情が思い出せて、ちょっと嬉しかった。

美談のように書いたが、この試験に通らないことには車校を卒業できない。いけすかない地元のウェイが合格できるのにわたしが合格できないのはもう耐えきれない(突然のウェイdis)。どうにか次で通りたい、そんなときに救世主が舞い降りた。インストラクターTさんである。
基本的には担当のMさんが教習で同乗してくれるのだが、補習は突然入るのでそうはいかず、その日はTさんが担当だった。
Tさんはクランクの必勝法を知っていた。どのタイミングでハンドルを切る、どれくらい切るというのを教えてくれた。いや最初からそれ教えてくれ。
ともかくTさんのクランク必勝法のおかげで、わたしは補習のあいだにクランクを乗り越えることができた。

ついでに言うと、何度も補習をしているとだんだん運転技術が上がっていくのが自分でわかった。成功プロセスを経て元気になるわたし。
ハンドル捌きもずいぶんましになった。家で新聞紙製のハンドル(母のお手製)を回した甲斐があった。(我が家では体育が苦手なわたしと妹のために、新聞紙でボールを作って室内バレーやテニス、バドミントンを幾度となく行ってきた。母は運動できる) 母のことを理不尽だメチャクチャだと言ってきたが、こういうところは感謝である。

そしてついに!4回目の受験に合格したのだった!実に長い道のりだった。晴れて仮免取得、ついに路上教習である。ここがクライマックスなのでこのあとはゆっくり読んでもらって大丈夫です。

【路上教習】

路上教習はけっこう楽しかった。補習のあいだに外で運転していいレベルまで運転技術が上がっており、メチャクチャヤバいトラブルも特になかった。
Mさんとも打ち解けてきた(とわたしは思っていた)。Mさんは落ち着いた人だったが、「正月から休んでないんだよね……」と自動車学校界の闇を教えてくれた。なんでも正月開けから高校生やら春休みの大学生やらが殺到するため、3ヶ月ほど1日まるまる休みということがないらしい。大変だな……
あとわたしが俳句を書いている話をしたためここで一句ハラスメントが起き、丁重にお断りした。

学科(筆記試験の授業)では小学校~中学の友だち、Fにばったり出会った。地元の人間はだいたいこの車校に来るのに誰にも会わないな~~と思っていたところだった。最初はFがまったくの無反応だったため、Fのドッペルゲンガーだと思っていたら本物だった。

ひとつだけ路上教習中になんだかよくわからないことがあった。一回だけ高速道路を走りにいく教習があるのだが、そのときのインストラクターがなぜか突然「歴史上もっとも世界征服に近づいた人間が3人いるんですが、誰かわかりますか」と聞いてきた。いくらやぼったい感じで車校に通っていたといえども女子大生に振る話題とちゃうやろ。
「ナポレオンですかね」と言ったら違った。「一人はギルガメッシュですね。実在するかわかりませんが」と言われた。「あ~~(Fateにおるな)」と思った。あとの2人は忘れたが、とにかくあのインストラクターは女子大生に振る話題をもう少し考えてほしい。わたし世界史専攻じゃないぞ。

もうひとつ、2月末にとあるコンサートのライブビューイングがあった。わたしは(もしめっちゃいいコンサートだったら次の日の路上教習中にフラッシュバックして事故るな)と思って行かなかったが、ライブのセトリを見ただけで感動でぼろぼろ泣いてしまったので本当に行かなくてよかったと思った。のちにライビュに行った友だちから「あなたライビュ来なくてよかった。絶対事故ってた」と言われたので正しい判断だったようである。仙台公演のパッケージ化楽しみだな~~

いろいろあったが、卒業検定は無事に一発合格、筆記も通り、晴れて免許を取得したというわけである。卒業検定でわたしを高校生だと思って話しかけてきたJKがいた。出身校を聞かれたので答えると、「え……知らない学校……でも知らないってことは絶対頭いいとこですよね!?」と言ってきたのがたいへんかわいかった。

【終わりに】
メチャクチャ長い話だったが、以上がわたしと車校のバトルの顛末である。正直車を運転するのは怖いので、なるべくもう運転はしたくないと思う。高速道路とか絶対行かねえ。
だが、自分でやりたいと思わない経験をできるのが久々で面白かった。みんなも一緒に車校に通って劣等感を取り戻しにいこう!(いやだな~~)

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