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21★それしか求められて無い様な気もする。という長々した話

子供たちがすごくしっかりしてきている。ちょうど今年の春、上の娘は高校生に、下の息子は中学生になった。それで彼らの生活はガラリと変わった。加えて、夫が亡くなると言う出来事もあった。だからますます変わった。この春までとは生活リズムも意識も行動範囲も責任感も何もかも変わったし、必然的な事やとおもう。

その事で沢山の人から声をかけてもらって、もちろん基本的にはありがたいことが多くて支えられたり背中を押されたり、悲しみに寄り添ってもらっている。けど、たまにかけられる言葉の中にどうしても引っ掛かることがある。

一つ目は娘があっけらかんとしている件へのご意見。夫が亡くなってから葬儀が終わるまでの間に、娘は沢山泣いた。もともとパパっ子ではなかったし、思春期の娘と父親の絡みは最低限。死後数ヶ月して、1度だけ夫の話をしてるときにウルっとしたことはあったけど、娘はすでに前を向いて生きている!!どういう心境なのかは、本当のところ本人以外わからない。が、それについて娘とは日常生活でコミュニケーションをとっているし、コンディションは見てわかっているつもり。

だけどケロっとして前向きにしてると(第三者に)話すと『娘ちゃん、無理してるのね。』と言われることが8割くらい。ついでに『無理して頑張らせると良くないよ』とか『アダルトチルドレンが満たされなくて後々本人が大変よ』とか言われることもある。

『娘が無理している』

ほぉ、、、そうなの?娘がそう言ったのでしょうか?我が家の何をご存じで?と言いたいけど、否定しても『無理してるに決まってるじゃない』と言われるので『そうかもねー』で終わらせるようにしている。しかしもちろん内心は『うちの家族の悲しみの何知ってんの?』(比べる気もないけどそっちがひとくくりで決めつけるなら)『子供居ないでしょ?』『夫死んでないでしょ?』と思う。うちの娘育てた事もないし、性格も知らんし、我が家のことなんも知らんやん。

私は娘と話しているし、結果そんな無理してないと思う。娘は辛いことを深追いして自分を傷つけないし、考え込まないタイプなのよ。百歩譲って、万が一無理してたら何なの?良くないって、じゃあどうしましょうか?父親が死んで彼女なりのやり方で家族と支え合って生きてるだけ。

二つ目は、子供たちに心配かけて無理させてはいけないって言われる件。無理ってどこまでが無理なの?それなりの年齢の子供が、父親を亡くして母親を支えようと思うのってそんなにいけない事なのか?母として「無理するな」と阻止すべきことなの?『父親を亡くした』という彼らの人生における出来事をわたしがどうこうできない。そこから感じることも、それがどう今後に影響するかも彼らの人生の自由では?わたしに心配かけたくなくて泣かないとしたら、それも自由。わたしの心配をして自ら何か役割を買って出るとしたらそれも彼らの自由。わたしにはその自由を奪ったり強要する権利も手段もない。わたしはわたしで『夫の死』と向き合っている。その中で母親として子供の寂しそうな様子に寄り添ってハグしたり、父親に求めるであろうことを代わりに実現してあげたりしている。夫の代わりなんて無理しつつやってることもあるけど、それも自分の選択でやりたくてやってること。大切な人を亡くして、それぞれが家族を思い合って無理したり、今までと違うことをすることってそんなに子供にとって良くないことなの?子供にとって『父親が亡くなる』って人生を左右しかねない大きな出来事で、それによって歪みがでてそれをできる範囲で各自自分の力で解決しようとすることは、なにも悪いことではない。彼らにとって良くない(悲しい、辛い)ことがあるとしたら、それはただひとつ『10代で父親を亡くしたこと』だけだと思う。

他人が決めつけて良いだの悪いだの言ってほしくないし、勝手に家族内での役割とか、夫が亡くなった後の生き方指南してこないでほしい。
↑役割ってのは母親が子供に気を遣わせて心配かけて無理させちゃいけないとかって価値のこと。

息子の誕生日が近いので、どこへおでかけしたいか聞いたら『釣り』と言われた。いつも運転は夫やし、何かと気長に付き合うのも夫だ。が、息子のリクエストならと母親は釣りを決行!高速を下り間違えたりしつつ、夫居なくてもなんとか釣り場へ行き釣りが実現できた!そして大漁だった笑

20cmほどの鯖を約30匹ゲット
釣れすぎて後半はリリースした

あまりの炎天下、軽い熱中症でわたしが頭痛い~と言ってると娘がどこかでドリンクを買ってきてくれた。レジャーシートを敷いてハンディファンを当ててくれた。息子は帰宅後、クタクタなのに釣った鯖を三枚に下ろすのを手伝ってくれた。帰りの車では二人とも爆睡していて『夫もこんな風にクタクタなのに運転してくれてたのかな~』とか考えながら睡魔と戦って帰った。行ってみて、これは『子供たちを釣りにつれて行った』ではなく『三人で釣りに行った』やなと思った。

その場で捌く息子漁師

こうやって夫の抜けた穴をそれぞれにカバーして、わたしたちは助け合って生きている。わたしもつい病気や他の経験から人に対して『わかります』なんて言ってしまうけど、それは『お気持ちに共感します』って意味で、体験したこと全てを分かる訳じゃない。
氷山の一角て言葉のように、物事って見えてる部分はほんの一部で、見えない部分がその何倍、何十倍もある。『夫が死んだ』はその一部やし、『娘が泣かない』のも一部。もちろん『子供たちがしっかりして支えてくれる』も一部。

例えば、保育士さんだから子供のこと全て分かるか?と言えばそうでもないし、看護師だから病気を分かるかといえばそうでもない。子供も病気も10人十色。アドバイスは相手に対して愛があるからするんやろうけど、決めつけとか批判にならないようにわたしも気を付けようと思う。そもそもアドバイスというよりは、寄り添うことで十分やし、それしか求められて無いような気もする。という長々した話でした笑

黙々と釣る娘

釣った鯖は後日、鯖フライか〆鯖として紹介できたらと思います!



おしまい

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