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キラキラした日常はイラナイ


SNS断ちして数ヶ月経つ。今のところ、日常にもメンタルにもいいことしかない。

どうしてそこまで情報を追いかける必要があったのだろうか。誰かと必死に繋がろうとする必要があったのだろうか。イイネしたところで、何にもならないのに。知らないということは、他人との会話を生み出してくれるのに。

という、少し冷めた意見を残して、先日久しぶりにSNSに触れた日の話をする。


とある知人からSNSの利用を尋ねられたので、SNSをアプリごと削除してしまった私は、ブラウザからその指定されたSNSの使っていないアカウントにログインした。

久々にそのツールを開くと、他の知人からもフォローのリクエストが来ていた。


とりあえず知人から聞いたそのアカウントにフォローのリクエストとフォローのリクエスト申請を許可して、その知人のアカウントの投稿をサッと確認した。

知人はとても幸せそうで、投稿は当たり前の日常の幸せに溢れていた。心があたたかくなった。なぜか同時に、私も嬉しくなった。


ただ、そこに居た過去の同級生たちのキラキラと着飾ったアイコンには酷く寒気がしたし、私にSNSの世界はやはり向いていない。と、ページをそっと閉じた。

彼らはそのアイコンにあるキラキラした切り取りが日常なのだろうか。はたまた、SNS上でマウントを取るためだけのキラキラしたように見える偽りの鎧を着た姿なのだろうか。どちらにせよ、私は彼らのどの日常にも興味がない。


#港区女子  とはよく言ったもので、私は今現在港区には住んでいないし、今後住む予定もない。もし住むことになったとしても、そのような日常は送らない。

私はキラキラした女性にはならないし、今の生活が楽しくて、幸せで、満足している。

だからといって、その楽しい日常を多くに知ってほしいとは思わないし、公開する予定もない。今の私には、noteの世界がピッタリだ。

こう言うと、妬みややっかみだと思う人種が一定数居ることも十分承知だ。どう思われても構わない。どちらにせよ、私はそのキラキラにはなるつもりがないのだから。


近くに居た同級生たちから距離を置いたあの頃の自分の判断と決断は今の私も肯定できるし、間違っていなかったと思える。もうそれだけで、私は十分幸せだ。

これからも私は、今楽しいと思えることを、同じ温度で分かち合える仲間と生きていく。自分の中のものさしで周りを見渡して、幸せと思えることが幸せだ。

そして、時々自信を無くしてしまう自分に告ぐ。

間違ってないよ、私。大丈夫、キミは自分を信じればいい。



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