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リアルとネットの境界線

こんにちは。ムミニキです。
今回もはてなからnoteに移籍したので、リメイク記事になります。
第2弾はそこそこ反響があった「リアルとネットの境界線」です。やや長文になりますが、元よりも構成がしっかりしていて主張が分かりやすくなっていると思います。ご覧下さい。

先日就職を機に疎遠になった友人と会ってきました。出張で東京にきたついでに会おうと言う話だったので結婚のケの字も出ていなかったのですが、会う目的は結婚報告でした。
またひとり俺を置いて行ってしまった。

その友人とは一時期疎遠になっていたものの、6年間の付き合いがある。性格の良さはピカイチなので嫉妬とか羨望とかを差し置いて素直に嬉しいと思ってしまう。
婚約者の話を嬉しそうにする友人を見ながら、どうか幸せになって欲しいと思った。
そう思った理由は実に単純で、俺を結婚式に招待したくて直接会いに来たと言ったからである。出張で忙しいはずなのに、わざわざ合間を縫って逢いに来てくれたのだ。これはもう結婚式に行くしかない。
しかし、仮に参加するとしてひとつ問題がある。
俺はどこのテーブルに座ることになるのだろうか。
と言うのは、その友人とはTwitterのオフ会で知り合っているのである。新郎新婦の「学友」や「会社の同僚」などが揃う会場で「ツイのオタク」と書かれたテーブルには座りたくない。「ツイのオタク」関連で招待した人間が他にいるのかわからないが。

※因みに友人はネット恋愛ではない為、もし仮に「ツイのオタク」テーブルなんて作ってしまったら浮いてしまう。

ネットがメインカルチャーとなった現在でも、ネットで人と会うことに抵抗感がある人は多い。特に中高年層はその傾向が高い。
小学校の情報リテラシーの授業では、知らない人と会ってはいけないと教育される。無論、犯罪に巻き込まれる事を防ぐためである。
ネットのイメージが悪い情勢のまま「ツイのオタク」テーブルには座りたくない。流石に趣味繋がり等の名前にしてくれると思うが。

※因みに出会い系で結婚したカップルの式では、馴れ初めの部分で「趣味を通じて奇跡的に出会い・・・」という紹介がなされる。

そしてそこまで考えて、ネットの出会いをバカにするつもりはないし大切だと思っているはずなのにネットの出会いであることを隠したい自分がいることに凹む。
冷静に考えたら、ネットの出会いなんて特別な事じゃないという事が分かってしまうのに…。
その結論に至った思考を以下にまとめようと思います。

まずネットの出会い賛成派の敵、「ネットの人間と会う事に抵抗感を示す人」の思考回路を読み解いてみた。
ネットの出会いに抵抗を示すのは、勿論素性の知れない人間と会う事にリスクが生じるという側面が大きいと思われる。未知に対する恐怖である。

ならば相手の身元が保証されていればいいのか?
答えは部分的にYesだと思われる。
そのパターンは代表的なのは、出会い系サイトである。正直出会い系サイトもネットのオフ会も同じ括りだと思っているが、「出会い系は一応理解できるがネットのオフ会は危険だと思う」と考える人はいる。その2つに違いがあるとすれば、身元の保証である。
出会い系サイトは、利用規約を守り住所や顔や年齢等の情報が開示されている(=アプリやサイト側から身元がある程度保証されている)ユーザーとマッチングするシステムである。無法地帯のネットで性別すら分からない人間とオフ会するよりはリスクが高くないと判断する。
分かりやすい例として出会い系サイトを挙げたが、正直合コンやお見合いも(知人による)身元の保証がついたオフ会みたいなものだと思う。
因みにオフ会にも出会い系サイトにも否定的なのにお見合いは大丈夫って意見の人もいる。
個人的にはオフ会もお見合いも知らない人と会う行事という意味で同じ括りだと思っているが、その人はリアルの人間とネットの人間と会うのとではリスクが違うと考えていると思われる。

では本当にリアルの人間が安全でネットの人間が危険なのか。
個人の主観として、ネットの方がリアルな情報を落としている分、危険を回避出来るような気さえしている。
当たり前のことだが、ネットで知りあったとしても実際に現れるのはネット星人ではなく、ただの人間だ。
ネットだから身元が保証されない、情報がない、その事にリスクを感じているのだろう。しかしいくらネットと言えども相手はただの人間で、人間らしくネットを利用している。
ネットの匿名性に危機感を抱く気持ちはわかる。だが、その匿名性がリアルでは隠されてしまう感情や思考や本音といった本質的(=リアル)な情報を落としやすいと考えている。

リアルの身内には知られていないけど、ネットには言っている情報は意外とある。これはリアルよりもリアルと言っても過言ではないだろう。
これは合コンやお見合いや出会い系サイトでは表面的な情報しか手に入らない事と比べたら大きなアドバンテージである。
「紹介されて会ってみたけど、お互い腹を割って話せなかった。」
「何を考えているかわからなかった。」
「ちゃんと話してみたら性格的に合わなかった。」
ネットでの出会いはそういう状況が起こりにくいと思っている。勿論ネットでも隠し事はするし、ネット専用の仮面を被るだろうが、どちらかと言えばネットではリアルの抑圧から解放されている人の方が多いのではないだろうか。

それに良くも悪くも、ネットは縁を作りやすく切るのも簡単である。会う会わないの判断は自分でできる為、性格が合わなければ会わないという選択肢もとれる。従って相手をしっかり観察していれば、リスクはある程度抑えられるものだと思っている。
そもそも「仲介者がいるから身元の保証が取れていて安心」って考え方がおかしい。仲介者がその人の性格を理解していない可能性もあれば、悪い面を隠している場合もあるからだ。
つまりしっかり人を選べば、リアルもネットもさしてリスクは変わらないはずなのである。

リアルとネット、思考や性格をより正確に収集できるのはどちらだろうか。
勿論リアルもネットでも収集できるだろうが、仲介者の存在がある限り、お見合いや合コンよりもネットでオフする人を選んだ方がハズレを引きにくいのではと思う。
ネットは匿名性が特徴であり、そこが利点とされている。しかしネットは「人間性」という一番重要な情報が流出してしまうツールだと思っている。
だからこそ、ネットの人だからと嫌疑の目を向けるのではなく、自分が信用したネットの人を信用して欲しい。ネットの人に信用された自分を信用して欲しい。
そういう世界になれば色々楽なのですが。

おわり

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