Skrillexと宅八郎さんの思い出

Skrillexが
「その場で曲をMixするのしんどいから事前にMixしたトラックかけて、たまに気が向いたら効果音入れるね」
とステージパフォーマンスに集中してたけど、それが許される前の時代は、リアルタイムに曲をMixできないDJって『ダサい』こととして許されてなかったように思う。

少なくともSkrillex出現以前の日本のDJシーンはそうだったように感じる。

宅八郎さんが、DJメカヤクザ名義で森高千里の曲のトラックを事前に作って「僕はリアルタイムでMixできません」と宣言して、曲のスタートボタン押したあとはマジックハンド持ってずっと踊ってたのは、Skrillexが売れる十年近く前の話だった。

あたしには潔くそれを客に公言してパフォーマンスに徹するDJメカヤクザがメチャクチャかっこよくてシビれたけど、その当時の『イケてる』DJの一部の方は、

「DJなのにリアルタイムでミックスできないの? それはいくらカッコイイMixができて『編曲家』としてかっこよくても『DJ』としてはかっこよくないんじゃね?」

て意見が多くて、あたしはそのたびに、

「下手にリアルタイムにこだわって失敗するより、家で一人で集中して完璧なトラック作って、気まぐれに効果音を入れる以外はステージパフォーマンスに集中してるのってカッコイイとあたしは思うよ」

と、DJメカヤクザ非公式で啓蒙してた。

彼は時代や流行に左右されない『哲学』を生きていた印象だった。

他の活動やスキャンダルがどうだったかはここでは置いといて、あたしの知る限り、東京某所で対バンして、神戸某所でスタッフとして同行したDJメカヤクザのパフォーマンスは、客に対して演出しても嘘は言わない真っ当なパフォーマンスだとあたしは心底シビれた。それは確かだ。

少なくとも当時のDJシーンにおいて最もダサいとされていた『事前にトラック作って再生』を潔く客の前で告白して

(事前に作ったトラックを、客には決して公言せずリアルタイムでミックスするふりをしてツマミいじってるDJは当時もすでに何人かいた)

時々入れる効果音とステージパフォーマンスで『魅せる』ことができたのは、あたしの知る限り少なくともSkrillexと宅八郎さんだけだった。

確かに見た目は二人ともロン毛でチェックのシャツだから見た目だけで兄弟呼ばわりしてもおかしくはないけど、予めトラック作ってライブ当日にパフォーマンスに集中するところにももっとフォーカスしてほしいと思った。

『日本の兄とアメリカの弟』の『兄弟』の見た目と中身のパフォーマンスに対する姿勢と哲学の普遍的類似性をもっと注目してほしいと思った。

パフォーマー目線ではそういう感じだけど、純粋な見た目で、二人ともややダサいコーディネートからそこはかとなく滲み出る、よく目鼻立ち見たらハンサムっていう妙味にもシビれるんだよな実際……。

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