旅の記憶 バス旅 ひとり旅

一人で行く旅は、一人だということで、気が張っているためか、
小さなことを断片的に、でも鮮明に覚えている。

当時はフィルム撮影

ひと昔。オーストラリア留学中、タームブレイクなどを利用して
オーストラリア国内やニュージーランドを旅した。
交通手段はほとんどバス。学生だった私にとって、
移動手段は費用が抑えられる長距離バス(グレイハウンド)のほぼ一択。
食費節約のためパンやジャムなど簡単な食べ物は、
途中のミルクバー(コンビニみたいなお店)で買い足しつつ行く。
バターが溶けてバッグがドロドロになったこともあったっけ。

そのバスの旅の記憶を辿る時、
どこで何を見たか(観光名所など)などはさっぱり覚えていなくて、
一枚の写真のような断片的な記憶ばかり。

バス停車休憩で利用したトイレで、
「(私がトイレに行く間)この子抱っこしててもらえる?」と、
私がYesという前にぽんっと小さな赤ちゃんを手渡す若いママ。
トイレから戻ってくる前に泣き出したらどうしよう?とドキドキした。
あの時抱っこした赤ちゃんのふわふわな感じ。

バスの休憩で寄ったカフェテリアで、
カプチーノに山ほどお砂糖をかけて美味しそうに飲んでいたご夫婦。
カプチーノのホイップクリームをお砂糖のっけたまま
ザリザリ音を立てて食べる奥さま。
そんな子供の憧れみたいなこと、大人もしていいんだって嬉しくなった。

少し気だるくて眠くなるような雨の日の午後に、バスで流れてた曲。
今でもその曲を聴くと、
ぼんやりとした心細さと根拠のない期待の入り混じった当時の気持ちと一緒に、
バスの窓についていた雨つぶを思い出す。

ドライバーは自分が好きな曲を流す人もいれば、
ラジオを流す人、無音の人、色々で自由でいいなと思ったっけ。
ドライバーたちは(一応制服なのだと思う)短パンを履いているのだが、
ゴツい体格の人も多いので、そんなおじさんたちの短パン姿は、
それだけで微笑ましかった。

バックパッカー泊(もちろん自炊)が基本だけれど、
宿泊費も節約のため、バス泊も数知れず。枕は持参。
何度か利用するうちに、バスのお気に入りの座席が決まってくる。
私にとっては前から3列目くらいの席。
なぜかというと、行き先や停車予定など、ドライバーにすぐ聞ける位置だし、
停車したら、トイレやお店が混む前に一番乗りできるから。
それにドライバーの隣にはおしゃべり好きな人が座ることも多く、
その人とドライバーとの会話をさりげなく聞く。
英語のヒアリングトレーニングのつもりで。

座席が満席ということはほとんどないので、
この3列目あたりを、横並びに2座席を占有し、
日中は外の風景を見るので窓側に座る。
寝るときは通路側に移動。エアコンが寒いくらいに効いているので、
窓側のエアコン吹き出し口は2つとも閉じる。
こんなふうに私にとって気持ちよく旅するための、
ちょっとした工夫がだんだん出来上がっていた。

断片的な旅の記憶をふと思い出した時、家族に話してみる。
私にとっては断片的ではあっても、
鮮明な記憶なので懐かしさでふふっと笑えるのだが、
相手にとっては へー ふーん くらいのもの。
だからひとり旅の断片的な記憶は、
誰に自慢するでもない自分だけの宝物だと思う。

#わたしの旅行記

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