見出し画像

亡き祖父に捧ぐ。

インスタにも、ツイッターにも書くことじゃないような気がして。

でも、自分の気持ちを残しておきたくて。

どこにも吐き出す場所がなかったので、noteに書いてみようと思う。

2020年8月24日。

祖父が亡くなった。末期ガンだった。

あまりに突然で、言葉が出なかった。

私の撮った写真が遺影になった。この気持ちをどう表現したらいいんだろう。

祖父は一言で言えば、“豪胆“な人だった。

人望も厚く、決めたことは曲げない。人を惹きつける魅力に溢れ、人との繋がりをとても大切にする人だった。

ずっと島で暮らしていて、若い頃は漁師で、海が好きな人だった。

ガンになって、大きな手術をして、自宅療養のため私の実家に引き上げてきて、まだ間もなかった。

画像1

ガンが発覚した時も、辛い治療の時も、弱音は一切吐かなかった。

持病はあったけれど、身体が強く、抗がん剤が効かないことも。

そんな祖父だったから、何となく、まだ死ぬわけがないと親族の誰もが思っていた。

お盆の親族での集まり、笑顔でピースをしていた写真を見た。

亡くなる2週間前のこと。

テレビ電話をした時、頭ははっきりしていたけれど、すっかり痩せて声はガラガラになっていた祖父。大きかった体はすっかり小さくなっていた。

コロナの影響で、お盆の帰省を断念せざるをなかった。

『コロナが落ち着いたら、帰ってくるから元気で待っててね!』

約束は、約束のままになってしまった。

コロナの影響でお葬式に参列することもできず、最期の姿を見届けることもできなかった。

さようなら、ってちゃんとお別れしたかった。

本当に悔しくて。悔しくて。歯痒くて。コロナが本当に憎い。

私の結婚式をとても喜んでくれたこと。

毎年、食べ切れないくらいの魚を送ってくれたこと。

大きい体で、洗濯物を干す姿。

実家に遊びに来るたび、大好きな回転焼きを家族全員分買っていたこと。

『じいちゃんは、幸せモンたい!』

これが口癖だった。満ち足りた最期だったのだろうか。

画像2

祖父の過ごした島で、祖父を写真に収めることが密かな夢だった。

叶わなかったけれど、必ず島へ行こうと思う。

自由に帰省ができるようになったら、お墓に行くよ。会いに行くよ。

どうか、どうか安らかに。


画像3


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?