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ラジオといえばオールナイトニッポン

ラジオを本格的に聴き出したのは中学生。ただラジオというものは「最大公約数」が少なく、全国津々浦々、老若男女が知っているラジオ番組なんてそうそうない。そんな中で田舎者の中学生が最初に聴き始めるラジオ番組は日本で最も有名な「オールナイトニッポン」なのだ。

オールナイトニッポンを聴いていると、冒頭にパーソナリティーが「東京・有楽町ニッポン放送をキーステーションに全国36局ネットでお送りします。」と読み上げている。だから全国で聴ける生放送の代名詞と言って過言ではない。

しかし、私の住んでいた岡山のテレビ・ラジオはちょっと特異なのだ。テレビは瀬戸内海を挟んで岡山・香川で同じチャンネル、そして大都市でないにも関わらずテレビ東京系列のチャンネルがあるのだ。ラジオは民放FM局が90年代後半になるまでなく、AMラジオ局である山陽放送はこれまた90年代後半までJRN単独系列だった。JRN系列というのはTBSラジオ系列と考えると分かりやすい。山陽放送は単独系列だったのでNRN系列(ニッポン放送・文化放送)の番組は当時放送していなかった。今でもラジオ欄に「25:00  スーパーギャング」と書いていたのを覚えている。ただ、私が聴きたかったのは「25:00 オールナイト」だったのだ。

では岡山でニッポン放送の「オールナイトニッポン」を聴くにはどうすればいいか?一つは隣県である香川県の西日本放送を聴くことだ。山陽放送と異なり、当時はNRN単独系列だったのでオールナイトニッポンは1部・2部とも放送していた。しかし難点は電波が弱いのと山陽放送と周波数が近くてクリアに聴けなかったことだ。

そのため「ニッポン放送で聴く」という第2の手段をよく用いていた。深夜だからできる裏技、ダイヤルを1242に合わせると東京の雰囲気を感じることができた。オールナイトニッポンが始まる前に「野田クルゼ」のCMが流れていて「何これ?」と思っていたが、東京に行くようになり、お茶の水駅の看板を見て「医歯薬専門の予備校」だと知った。

基本聴くのは1部だけだったが2部は睡眠導入剤として聴いていた。そのため2部の内容はほとんど覚えていない。当時、伊集院光が話していたのをかすかに記憶しているくらい。むしろ記憶にあるのは2部エンディングでビタースイートサンバが流れた後、君が代が流れ、朝の番組と続いていき、電波が段々と弱くなり雑音になっていくことだ。なんだか東京と岡山をつなぐドアが閉められていく感覚だった。

40代中盤になっても深夜ラジオにお世話になるとは思わなかった。あと何年生きるかわからないがくたばるまで深夜ラジオを聴き続けるのだろうなぁ。

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