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【円錐角膜】円錐角膜患者のこれまで その1

このお話は、障害者総合支援法下で難病と位置づけられている円錐角膜について、患者の私(40台後半関東在住男性)がこれまでの患者生活をまとめた(まとめようとしている)ものです。

気軽に打ち始めたけど、とっても長くなりそうなので我ながら困惑しています。

発症当時のこと

16歳時に乱視が急にひどくなりバイクの運転が怖くなってきた。近隣の眼科を受診したところ、家族は同伴していないか聞かれ、1人で来たことを告げると、「円錐角膜」とのこと。なにそれ?

・原因は不明、角膜が円錐状に突出していく
・治療法は見つかっていない
・進行性の疾患で、徐々に乱視がひどくなり、進行例では角膜移植の対象

当時は「ハードコンタクトレンズで突出のスピードを抑える」進行抑制しか対処の方法がなく、まずはハードコンタクトレンズの作成をすることとなる。

テスターとして装着した初めてのハードコンタクトはSEED社の酸素透過性レンズだったと思う。とにかく装用に伴う痛みが強くて、目を開けていられない。

しかし、15分ほど下を向いて耐えているとなんとか目が開くようになってきた。確かにこれまで乱視がひどくボンヤリしていた視界がシャープになっている!
鏡を見ると自分の顔のブツブツまで見えて急に恥ずかしくなった。

帰宅して母親に話すと、「難病」、「原因/治療法不明」、「進行したら角膜移植」などの不穏なワードに動揺されまくる。落ち着け。

2週間ほどして自分用のサイズに調整されたカスタムレンズが納品された。確か、左右21000円ずつ、保存液や洗浄剤、ケースなどの周辺用品含めて45,000円くらいだったと思う。親に感謝。 

矯正視力の向上はありがたいが、相変わらず装着時の痛みはひどく、「ハードレンズは慣れですからねー」との言葉を信じて短時間の装用から開始。


風が強い日、ホコリの多い日や、花粉症の時期などは目を真っ赤にしながら涙を流して過ごしていた。 
当時はロートZiを常にポケットに入れて、ちょっとでも痛みや乾燥、曇りが出てきたら即、目薬をさしてた。

今となっては日々起きるできごとレベルに慣れたけど、不便だったなぁ。

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