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わたしと演じること エピソード1《幼少期編》

私と演じることの出会いはなんだったのか、考えている。

俳優になりたいっと思ったのは、紛れもなく高校三年生の夏に出会ったミュージカル「モーツァルト!」の中川晃教さんを見たからとはっきり言える。

その後、進路を変更してミュージカルの専門学校を探し、一人で東京のオープンキャンパスに通い、両親と先生を説得し秋頃には上京することが決まっていた。
ような気がする、、、

その時を振り返ると、両親は数年で帰ってくると思っていたのと、言ってもどうにもならないだろうなという実感を持って、泣く泣く送り出してくれてらしい。

結局は、卒業後資金集めのために1年帰ってきたものの、その後10年以上も東京に住むことになるとはその時両親は思ってもいなかっただろう。

そして、先生は東京の大学に通っていたこともあり大いに応援してくれた。
それが、私を後押ししてくれたのだと思う。

と、ここまで順調にことが進んだにみえた道だったがここからが本当の始まりだったように思う。

ここから専門学校での地獄の2年間が始まる。

ここで学んだことも大いにあったし、ここで今後の自分がどう演じることと向きあってゆくかの火種のようなものも生まれたような気がする。

さて、話は少し戻り幼少期の話。

小さい頃のこまるは、たいそう可愛がられて育ちました。
たぶん。

でも、それ以上に弟が可愛すぎて周りからちやほやされて嫉妬した覚えがあります。注目を集めるのは好きだったが、目立ったり人前に立ったりするのは苦手だったように思います。これは、役者やり始めてから本当に苦労した点ではありますが、でもそれがあったから、今こんなにも演じることが楽しんだなと思っています。

小学校高学年、4年生あたりから周りの子達と話が合わないなと違和感を感じ始めていた頃、私を救ってくれたのは歌の先生でした。

何がきっかけかわかりませんが、毎日昼休みに数分、先生と二人っきりで歌集に載ってる歌を歌い続けていました。ひたすら。

私のお気に入りはモーツァルトの子守唄とブラームスの子守唄でした。

歌っている時だけ、なんだか私が今引き受けている世界観から抜け出して私ただ一人の世界で自由気ままに過ごしている感覚がありました。

ここが私の演じることへの原体験になってるような気がしてます。

家庭環境も至って普通ですが、少女時代のこまるは色々不満を抱えて生きておりました。コンプレックスもたくさん。

ここら辺の負の気落ちが、高校生の時の「あ!東京行こう。」に繋がってきた気がします。

さて、語るべきことはまだまだありますが、今思い返すとそんな幼少期が今の私に繋がっているんだなと思えたのも20代後半、ある方に出会ってからだと思います。

この時に、色々私は自分自身に呪いをかけていたんだということがわかった瞬間。

今まで、演じれなかったこととか苦手だったことが受け入れられてきて、
《あー生きててよかった!》と思えるようになるのですが、

それは、まだ先のお話。

ここまでくるのに、私はしっかり数年かけてそれこそ命懸けで色々私なりに挑戦して行きます。

それこそ、自分を殺すように生きるために演じるを使っていた時期が幼少期にあったのだと今、思い返すとあったような気がします。

親の機嫌を取るために、自分の気持ちを誤魔化すとか。
でも、これはただの反応で演じるってことができていればもっと健やかに生きられたなと今思うと感じます。

そこの区別がついていなくて、本当に苦労したのかなと今の自分なら思えるけれど苦労したからみえたこともあったので結果オーライな気がしてます。

さて、ただの雑談のようになってしまった感が否めませんが、やはり演じることを書くうえでここら辺のことに触れとかないと、次に進めないような気がしてつらつらと書いてしまいました。

次は、地獄の専門学校編が書けるかどうか。

どうぞ、お楽しみに!!!

2022年2月1日 




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