器の在り方

「ぼくは、たとえインスタント・ラーメンであっても、龍の模様なんかがついた中華丼で食べたいし、一本五百円の安ワインでも、コップではなくて、ワイングラスで飲みたいと思う。そういう風にして、食べたり、飲んだりした方がおいしい、というのは一つの大切な真実ではないだろうか。合理的な考え方からすれば、容器によって味が変わるはずもないのだから、おいしい、と思うぼくは幻影を食べたり飲んだりしているのかも知れない。しかし、そうした幻影を一つ一つ否定していったら、ぼくたちの生活に何が残るだろう。」

渡辺武信 『住まい方の思想』中公新書

牛丼を食べるなら遠くても吉野家に行く。
職場から吉野家の間に松屋やすき家があるが、脇目も振らず吉野家に向かう。それは味がどうこうより、牛丼という食べ物を想起したとき、頭に浮かぶ器の模様が吉野家のものと一番合致するからだ。
同じようにステーキはアツアツの鉄板が良いし、ラーメンは白い陶器に赤い中華模様と龍が描かれてあるものが良い。

食べたいと思ったときに浮かび上がる似姿と近いものを食べたとき、満足度が高いと感じるのは間違いないと思う。

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