「自分とは関係ない」と認識すること

世界は優しくない。
自分がわからないことは多いし、理解できないことも多い。
それは大前提だと思う。

国会中継に対して文句を言う人や、社会の事件に対して何かしらいう人は多い。別にそれはその人の自由だし、そんなことに対して「良くないよ」「意味ないよ」と言うつもりはない。思ってはいるけどね。

政治に対して不平不満があるなら文句がある政治家は不信任にするべきだし、それをするための行動が不満を言うことかどうかはボクからすれば意味がないように思える。川の流れで石が丸くなることを期待する年月をかけてなんとかしたいと思うなら有効的なんだろうけどね。

閑話休題。
「それ何が面白いんですか?」ってのがまかり通るのが今のSNS事情ってのを見て、「え、正気か?」と思った。
世の中すべてを100%笑わせれるジョークが存在したとして、それは原初的な「誰もが普遍的に知っている」ことが前提になるだろう。
つまり冗談や狂言回し、面白い話というのは「そんなことはない」と誰もが認識している共通知識の例外が起こった時の話になる。

言いたいのは面白いと思われていることが面白いと分からないとき、「自分も笑いたいので面白い理由が知りたい」というのは救いがある。
ただ反対に「面白い理由がわからないのでつまらない。私が笑えるレベルの面白さにしろ」というのは無茶苦茶になる。
広告と同じだが、ターゲットにしてない人間からクレームがきてるようなもんだ。

ボクはそんなもの排除すればいいと思う。
むしろそうしなければ人類はダウングレードしかしない。
わからない人間に合わせてわかる人間のレベルを下げるって、学校で前回のテストの平均点が悪かったので今回簡単にしましたってやるのと同じ。
無限に下がり続ける。

森元首相の件もそうだし、ホロライブ5期生の清掃員ネタの話もそう。
わからない話を無理にわかったつもりになってお気持ち表明して、断罪する必要ってまったくない。

遍く彼方、森羅万象すべて認識してないと気がすまないのかよ。
即身成仏しろ。


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