不愉快な理由を考えると、自分の考えが傲慢であると気づかされる

週末、目の前で繰り広げられた、何とも言えない不愉快な出来事を記事にしようとnoteを書いた。しかし途中で混乱して記事を削除した。

ボクはnoteに限らず、文章を書くときは頭から何度も反復して読み直してセルフ校正をする。しかし今回の文章は、書いてる途中の校正段階で「なんでこれが不愉快だったのか」が結局わからなかった。

漠然と不愉快だった理由がわからないまま、ただ「不愉快だった」と文章を書いていたが、不愉快の理由はわからないがとにかく不愉快という、普段嫌悪する事象を自分が行うという何かだった。

結論でいうと、それは自分が傲慢なだけだった。
「そうであろう」「そうであるべきだ」等という傲慢な考えが起こした錯覚に過ぎない感情だった。

もし世界が自分が思う通りに正常で「そうであろう」の中でしか動かない世界なら、きっとボクはツマラナイと思うのに。

そんな何とも言えない感情を再考するという意味不明なことをした日だった。
おやすみ世界。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?