言葉のあら捜し警察

「1万円からでよろしかったでしょうか?」の「から」は誤用だとしつこく反駁する輩が増えているが、このような輩は日本語は「省略」を多用する言語であることを知らないのだろうか。

毎日何気なく使っている「おはよう」「ありがとう」という言葉でさえ、「まだお早い時間ですのにおいでになるとは、ご健勝なことで何よりです」「このようなことをしていただけるなんて、近頃なかなか有り難いことでございます」という言葉がグッと詰まって省略されたものだ。本来言いたい言葉をグッと縮めて必要最小限の言葉で表す、これが日本語の文化というものだ。

同様に、「1万円からでよろしかったでしょうか?」とは、「1万円からこちらの代金1,108円をお引きしますと、お釣りは8,892円で、小銭の量が多くなってしまいます。それは結局のところお客様のお財布をかさ高くしてしまうことにつながり、たとえばお客様のジャケットのラインを美しく保つことが困難になる恐れがございます。そのような問題を防ぐ一つの手だてとして、お客様が今こちらの1万円に108円、または110円を追加してお支払いいただければ、私どもがお客様にお渡しするお釣りはそれぞれ9千円ちょうど、または9千2円ということになり、お客様のお財布を軽々しくするのに貢献できるかもしれません。お客様にはそのような選択肢もご用意されているわけでございますが、本当に1万円からお釣りをお渡ししてもよろしいでしょうか?」と、そのような文意が省略されている言葉なのだ。

そのような意味も分からず誤用誤用と叫ぶむなしさをこそ知るべきだ。と、いうわけで、1万円からでよろしかったでしょうか?
(引用元:電網辻々噺: 1万円からでよろしかったでしょうか 404)

元の投稿どころかサイトもなくなっていたので引用アーカイブ。
URLを見ると、blogzin / 2010 / 02とあったので、OCNの旧サービスブログ人のサイトだったのかな。

SNSがある今では自分の思うことはより手軽に発言することができるし、一過性ではなく残る言葉にしたいなら、このnoteやBlogもある。
そういった現代において強い言葉(相手を否定するような)で印象を残すような書き方や言動が他者の共感を得やすいのも理解はできる。

しかしSNSや口頭会話で起こる誤用や些細な間違いに対して「その言い方は失礼だ」「その言い方は間違いだ」というのをあげつらうのは、いささか趣に欠ける。

察しと思いやりを忘れることほど悲しいことはない。
心にゆとりを持って生きていたいね。

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