【短編SS】英雄の元相棒と裏切りの魔女
爆ぜる暖炉の火、ただよう蒸気、湯の沸く音。合間を縫ってくゆっているのは何かの葉を煎じた匂いだ。
この香りには覚えがある。あの女が都度焚いていた、魔除けの一種だ。
向かいに腰かけた男は、にこにこと笑顔を浮かべている。
「やあ、こんな山奥まで訪ねてきてくれて嬉しいよ。国を救った英雄だなんて呼ばれたのはもう何十年も前の話で、今はただのしがない老人さ」
そう言って俺に椅子を勧める柔らかい所作も、記憶の中のままだ。
俺の知る姿からは、しわもシミも増えた。手にはいくつか俺の知らない傷もある。濡れたようなツヤの黒髪は、わずかに白髪が混じってきているが、その目の優しい光は失われないままだ。
俺は涙ぐむのを堪えて、愛想よく微笑んでみせた。
俺のよく知る男は、天気の話やこの山村の暮らしについて、いくつか他愛ない話をしてくれた。「救国の英雄を慕って訪ねてきただけ」の少年に、とても穏やかな調子で。
不意に部屋の扉が開いて、1人の女が入ってくる。途端に鼻をかすめる、独特の匂い。あの頃は安心したものだ、このイチイの枯れ木を焚いた香りに。
女は俺と向かいの男に温かい飲み物を出した。男は彼女に礼を言って、俺に紹介する。
「彼女は私の妻だよ。その昔、ともに戦った仲間だ。随分若く見えるだろうが、その実私より年上でね……、おっと、これは言わない方が良かったかな」
「いやですわ、あなた。女性の年齢をおいそれと人に言うなんて」
年老いた男と、年齢に不相応なほど若い女が笑い合うのに合わせて、軽く吹き出しておく。
純真無垢な少年を笑わせられたと思ったらしい男は、思い出したように立ち上がった。
「おお、そうだ。山葡萄を裏に干してあるんだった。折角だ、みんなで食べようじゃないか。ちょっと取ってくるよ」
男は女にも椅子を勧め、痛む膝を引くようにしながら部屋を出ていく。
にこやかに男を見送った後、俺と女の残された部屋に、静寂が落ちた。
部屋に充満するイチイの香り。除かれなければならない魔はどちらか、教えてやろう。
俺は男に向けていた柔和な笑みを崩して、女へ視線を向ける。
女も穏やかな表情はどこへやら。射殺さんばかりの目つきで、俺を見た。
俺は口角を持ち上げて、女を見据える。
「よぉ、久しぶりだな、裏切りの魔女め。黄泉の国から舞い戻ってやったぜ」
「輪廻の輪から外れるよう呪ってやったのに、不夜の男め……!」
苦々しげに顔をゆがめる魔女を、鼻で笑う。
「俺の相棒の細君に収まって何を企んでるのか知らんが、魔女殺しの俺が帰ってきたからには、好きにはさせんからな」
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