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3.八年に一度の本能寺?

 4月7日、ノーゲの控え室にて入院宣告をされた後まもなく、病棟のベッドへ案内される。だいたい13時すぎだったと思う。

 ここまで来る間に「ノーゲ」という単語を何度も聞いた。ノーゲとは脳神経外科の略称で、イントネーションは「教授」と同じ。ギョーカイっぽくてかっこいい(?)

 今回、私の案内された病室は二人部屋の窓側だ。大きな窓から空が眺められ、それだけでも救われる。また、入院できたことによる安堵感も相まって、ひととき頭痛と吐き気が消え去るように感じた。

 かかりつけ医が大学病院というのも変な話だが、今から18年前に生検と検査入院によって診断されたメンドクサイ難病(膠原病系)を一つ抱えているため、カルテを共有できて今回のように緊急事態になっても各診療科や薬剤師との連携がスムーズに行えるようになっている。
 そのメンドクサイ難病による最初の検査入院から数えると、ゆうに10回は同じ病院に入院している(別棟、別院あり)。3泊4日の場合もあれば3週間もあり、最長で41日間だったこともある。こうなると織田信長にとっての定宿、本能寺みたいなものか。ちがうか。。。

 そしてさかのぼって数えてみると、だいたい8年周期で入院するハメになっていることがわかった。

1.メンドクサイ難病の加療(2005〜2007)
2.サイトメガロウィルス感染症(2015)
3.急性硬膜下血腫(2023、イマココ)

 西洋占星術の惑星周期に当てはめて「解説しよう! トランジットで1サイン(星座)移動期間が8年に当たる天体は〜」と唸りたかったが、周期が近いのは天王星の7年しかなく、肩を落としているところだ。

 さて、この日は気力体力ともにかなり限界で、スマホもさわれなかったためネタのメモが一切残っていない。そこで記憶を頼りに書いている。

 入院したことのある方はまず最初にやる一通りの検査をご存知だと思うが、身長体重の測定からスタートし、心電図、胸部X線など車椅子で館内引き回しの刑にあう。それらが終わると自室のベッドに戻れるが、24時間監視できるポータブルの心電図計を両胸と脇腹にシールで取り付けられ、血中酸素濃度計を利き手でない人差し指にテープでぐるぐる巻きにされる。さっそく配線だらけである。ゆるい束縛。

 食事と水分が摂れていないので点滴の用意が始まる。配管が増えた。ビーフリードとラクトナントカをゆっくりと代わるがわる体内に注ぎ込んでいく。表面はアブラ汗、その中身は輸液で水びたし。

 お昼すぎの入院だったので、食事の提供は夕食から。18時頃、運んでもらったお盆に載っている数々の皿や丼。中身はなんだろな、と全部のフタを取って確認したことは覚えているが、どんなメニューだったのがまったく覚えがない。もちろん一口も食べられるわけなかった。今、食べられないのは医療チームも想定内のようだった。

 これまでの人生53年の間に夏バテ、インフルなどの高熱、サイトメガロウイルス感染その他いろいろあって少しは食欲が落ちたことはあるが、口に一切ものが入らなかったことは一度もない。さすがにみるみる痩せていった。

 寝ながら手の甲を見る。血の気が感じられず焦げ茶色に近くなり、骨の形状がはっきりと見てとれる。これはまるでミイラだ。

 大昔、何かのテレビで見た「即身仏」。それに憧れを抱いていた小学生の私は「死ぬときは、ぜひミイラになりたい」とつねづね思っていたことがある。今、急に思い出した。
 当時はこの飲まず食わずがいかにツライことか、まったく想像できていなかったのだな。それもそのはず、「即身仏」の字面からはインスタントコーヒーの粉やカップ麺のかやくといった、フリーズドライのイメージしか湧かない。「やったー! 即、仏になれるぞ!」としか考えられなかったのだろう。

(つづく)

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