最近のデザイン学習の雑談
こんばんは。深夜に突然何か文章を書きたくなってしまいました。思えば数週間記事を何も書いていなかった気がします。(このアカウント以外にもnoteは実はある)
ということで、たまにはゆるく雑談の記事でも書いてみます。テーマは「最近デザイン学習している時に思ったこと」についてです。
上達すると、感動できる作品が減る
最近私はaviポスターを作ろうとしているのですが、ある程度作れるようになると、初期に感動していた作品に感動できなくなりました。
上達するとポスターの要素を分析できるようになります。「このブラーがあるから綺麗に見えるんだな。ふむふむ」などとが分かって良いのですが、感動からは離れます。人は予測の範囲内のことに対して感動できないからです。
これ自体は自分が成長したことの現れとして嬉しいですが、過去に感じていた1つの感動を思い出せないのは寂しいと思いました。
最も問題だと思うのは、世間との認識のズレが生じる危険があることです。成長して作ったものが、デザインを受け取る人にとって、より良いものなら問題ないです。しかし、一部のアートのように、高度な知識や考えを前提としたり、独りよがりだった場合、それはデザイナーとしては不利に働くでしょう。
したがって、私はクライアントが「理解できないない」&&「綺麗と思える」範囲のものを作らないといけないわけです。もし、その範囲の制作物を「綺麗だ」と私が考えなくなったら、将来ヤバいなと思っています。
ソフトのUIは日本語にした方が良い
私はずっとソフト(Adobe、Photoshop…)は英語で使用してきました。理由は以下の通りです。
英語しかないソフトにも応用できるため
海外のYouTubeのチュートリアルも見るため
問題が起きた時、英語で検索した方が有益な情報が得やすいため
カッケーから
ただ、最近周りの環境に合わせるために言語を日本語に変える機会がありました。嫌々だったのですが、これが意外と便利なことに気づきました。
一番良かったのは、視認性が高い状態を保てたという点です。つまり、パッと見て取得できる情報量が増えました。ある程度英語が理解できるといっても、日本語に比べれば理解速度は落ちます。体感、3、4倍の差があると感じています。
例えば、
Physics
material
gravity
shader
noise texture
voronoi texture
よりも
物理
マテリアル
重力
シェーダー
ノイズテクスチャー
ボロノイテクスチャー
の方が遥かに読みやすいです。BlenderやPhotoshpなど同じレイアウトで単語が膨大なレイアウトでは、この微妙な差が操作中の大きなストレスに繋がります。(Figmaレベルだと英語のままでも良さそう。)
また、初めに挙げたデメリットは日本語でも対応できます。YouTubeの英語のUIは読むか、位置から推測できますし、調べるときだけUIを英語に変更することも容易いです。
基本レベルなら誰でも行ける
デザインは先天的or幼少期からの教育が必要だと思っていました。私はこの思いが強く、だからこそ視覚的なことが好きなのに、大学の三年までデザインに手を出していませんでした。
やってみて思ったのは、自分が綺麗と思える程度のものは一瞬だけなら作れるということです。すぐにその作品は先ほど言った通り、感動できなくなりますが、とりあえず一度は自分を納得させられます。分野によりますが長くても半年くらいかければ、その状態に持っていける気がします。
以前の私はこの事実を知らなかったので、何も行動していませんでした。言い訳ですが、自分が上手くなれる保証がないのに努力するのは結構苦しいです。「半年後にこれくらいのものが作れるようになる」と確証が持てれば喜んで作りますが、現実はそうではないです。一週間、一ヶ月ゴミを作ることになり、その度に「適正ないんじゃないかな?「やめる」or「続ける」」の選択をすることになります。
そこで無心で「続ける」を押すために必要なのは、同じく「続ける」を押し続けて成功した経験だと思います。最近色々なデザイン分野をやりすぎてカオスになっていますが、それらの成功体験を連続でできたのは良い経験だったと思いました。(流石にそろそろ分野を絞るべきではある)
夢ってすげー
夢or起きてすぐの状態を活用するアーティストや起業家の話はよく聞きます。手にコップを持って寝て、割れた瞬間(=寝ていた)時に絵を描き始めるアーティストだったり、起きた瞬間の優れたアイディアを活用するために1日に四回も睡眠をする漫画家がいるそうです。
かくゆう私も最近、寝る直前に見えるものが結構デザインに応用できると感じています。私は寝る直前に無秩序に考えと視界が動きます。現実が夢に入る境界のような感じです。(この状態はヒプナゴギアと言うんだとか。)
その状態では普段考えない突飛な思考になるので、正直アイディアについては利用できるものはほとんど降りてきません。しかし、視界については、突飛なものほどユニークなデザインになり、非常に参考になるものが生まれることがあります。もちろん、一度見たデザインが繰り返されるだけのこともありますが、その場合でも日中とは比べ物にならないほど鮮明に映し出されます。
問題としては2点で、起きたら全く覚えていないこと、現実に戻ってくると良いデザインに思えないことがあることです。メモを枕の横に用意していますが、暗闇で書いたメモ程度だと、どうにも思い出せない要素が多いです。また、その状況で思ったことはアイディアしかり、後で考えると大したことがないことも多いです。
現状、私が夢に抱いている希望としては、ユニークなデザインの発想できることと、夢の状態の拡張による、デザインを日中でも鮮明に思い出せる能力です。前者は今やっていることの継続、後者は何か怪しい本を読んでトレーニングすればなんとかなる気がしています。
デザインは補完能力?
最近、デザインは基本のアイディアを形作るだけがオリジナリティーで、それ以外はその人の経験に基づく補完能力で作っているのではと考えています。例えば私たちは直線を書く時、2つの点の位置が分かれば十分です。いちいちx=0、x=1.1の値を知る必要はありません。
それと同じように、デッサンが上手い人は対象から特徴となる点を抜き出し、それを元に自然法則などから周りを埋めているのだと思います。グラフィティーを描く人もある程度自分の中でルールを作り、文字の曲がり具合やセリフを作っているのだと思います。
という前提に立つと、意外と凡人の私でもなんとかなる気がしてきます。つまり、補完能力は不変のルールのようなものであるため、それを一度身につければ私でも応用可能です。となれば、デザインの学習とは、数をこなしまくり、その補完能力を身につけるということではないかと考えています。
終
Adobe税を払うために使わせていただきます