見出し画像

#みんなのオモイ -3.11への想い-

今年に入ってから2人の福島の高校生と知り合った。1人とは福島県産農産物の話をした。1人とは話せていないが、あの出来事を原体験に行動を起こすカッコいい高校生だった。

2年前の1月、僕は初めて福島を訪れた。
筑駒生と灘生のための『ふくしま「学宿」』に参加したのだ。最年少の中2だったが、2個上3個上の先輩とも対等に議論してもらった。あんなに濃く難しい時間を過ごしたことはあっただろうか。

震災・事故から7年経過していた当時の景色が鮮明に思い起こされる。
バスから降りることの許されなかった帰還困難区域通過。家屋の前のバリケード。未だ倒壊したままの電気屋。田んぼ一面のメガソーラー。「原発御殿」。
事故当時の東電副社長のそれでも原発は必要と力説する姿。当時の南相馬市立総合病院副院長からの答えのない問い。消防署員の克明な記憶、悔しさ、やるせなさ、それでも原発再稼働は必要と言っていた。

学宿を通して垣間見た、一筋縄ではいかぬ問題の特殊性及び普遍性、裏に潜む構造。全てを理解するに2泊3日では到底足りなかった。

史上最悪レベルの凄惨な被害を受け、我々は未来を見据えると同時に何度でも学び考えるべきではないのか。まだ学び足らな過ぎる気がしてならない。臭いものに蓋を、という流れが強くなっている気がしてならない。後始末しているという感覚に陥っている気がしてならない。

被災地は確実に前に歩んでいる。明るい未来を切り拓いている。

そんな今だからこそ、「首都圏の輝かしさを陰で支え犠牲となった福島」を再生産してはならない。前を向いて活躍する復興の象徴の陰で今もなお前を向けない人がいるのではないか。目に見えるものの「復興」ばかり進めてきた自治体の陰で施設管理維持の見通しが立たない現実が顕在化してきたのではないか。

9年の経つ今だからこそ「第二の福島」に警鐘を鳴らしたい。

人間の為した技で崩壊したモノは人間の為す技で取り戻すしかない。

今一度、真摯に向き合う時間を。

エネルギー問題。地方格差。高齢化。倫理観。誰一人とて関係のない人はいない。

改めて亡くなられた方のご冥福と、被災された方の一刻も早い安住をお祈りし、連帯の意思を示させていただきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?