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この国を救う「あいまい文化」

この国を救う「あいまい文化」
「あいまい文化」とは何なのか、その概念を明確化するために、この用語に包括される要件を整理しておく必要があろう。
「あいまい文化」は、「あはれ」「かなしみ」など、言葉の一つ一つにふくらみや奥行きのある日本語を大事にする。
「あいまい文化」は、各地方それぞれの方言や訛りを大事にする。
「あいまい文化」は、西洋流合理主義のように、物事を徹底的に分析して根源を明らかにすることに執着するよりも、そこにある全体をあるがままに見たり受け入れたりすることを大事にする。もちろん事故や事件などの場合は、因果関係を解明する思考法を重視するが、世の中のすべてを因果律で理解しょうとする思考法は採らない。とくに人間の営みを見る場合はそうだ。
「あいまい文化」は、すべてを科学で説明できると考える「科学主義」は排除するが、必要なところでは、科学技術の成果を利用するし、合理主義と共存するのを厭わない。実社会においては、科学や論理や合理性に基ずくルールは必要ではあるが、とくに行政においては、融通のきかない線引きによって、恩恵をうけるべき人が排除されるということのないように、線引きに幅を持たせるとか、問題や状況によって柔軟に対応できる余地を作るといった「あいまいさ」を必ず設定する。「あいまい文化」とは、包容力が大きく寛容であることをモットーとするのだ。
「あいまい文化」は、必ずしも「効率」を重視しない。「効率」のために人間に犠牲を強いるようなことはしない。
「あいまい文化」におけるものの見方・考え方は、自己と他者を切断して、何事も客観的な対象として見るのではなく、観察する自分も他者とつながった存在として考えることを大事にする。問題を他人事として見るのではなく、他者に寄り添う気持ちとか、他者の境遇に自分がなったらと考えるものの見方・考え方を大事にするのだ。
「あいまい文化」は、人間理解にあたっては、偶然に体験する「瞬間の真実」と言うべきものを大事にする。倫理と証拠によって実証によってしたり、再現実験によって真実であるかどうかを確認するといった科学的な方法は、物事によっては重要だが、それだけでは人間を見る眼を狭くする。人生における様々な経験や出会いには、因果関係では説明できない偶然のことが多いが、それは人が生きるうえで大きな支えになったり、深い意味を持ったりすることが少なくないのだ。
「あいまい文化」は、「魂」という見えざる存在、科学では説明できない存在を「物語」にして語ると、その中で顕在化してくるのだ。「あいまい文化」は「物語」を大事にする。
「あいまい文化」は、異なる宗教の共存を大事にする。信仰の違いによって差別することはしない。
「あいまい文化」は、言語や文化に優劣の序列をつけない。方言など、個性のあるローカリティーを大事にする。言語や文化の標準化や画一化には反対する。
「あいまい文化」は、この世の生き物はもとより山川草木すべてに霊が宿るするアニミズムを大事にする。
「あいまい文化」の「あいまい」とは、いい加減という意味では全くない、「あいまい」とは、西洋流合理主義あるいは一神教において、黒白を明確に分けなければ気がすまない思考法から脱け出して、よくわからないところがあっても、それらを含めた全体をありのままに大事にするという意味なのだ。
引用は柳田邦夫の「壊れる日本人」より

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