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彩木咲良とガラスの仮面

2019年くらいのインスタグラムで、さくちゃんはこのようなことを言っています。

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そして、あるインタビュー記事では、こんなことも。

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さくちゃんが、ONEPIECEと進撃の巨人が好きなことは知られてることですが、それに並んで「ガラスの仮面」をあげるということは、相当好きなんだろうなって思うんですよね。
そして、インタビュー記事で語った順番は、そのまま好きになっていった順ともいえると思います。
「ガラスの仮面」は、1976年から続く演劇を描いた少女マンガ。現在49巻まで刊行されていますが、いまだ完結していません。ドラマにもなっているので内容は知らなくてもタイトルを知ってる人は多いと思います。私は、昔から演劇を題材にした漫画が大好きで、高橋涼子の「つらいぜ!ボクちゃん」や、氷室冴子原作、藤田和子作画の「ライジング!」、美内すずえの「ガラスの仮面」も読んでいました。「ガラスの仮面」は、リアルとは程遠いものがありますが、物語のチカラ強さや熱量といったものが凄まじく、主人公の北島マヤが舞台の上で公演中に泥まんじゅうを「うめーうめー」と言って食べるシーンがあったり。荒唐無稽ではあるものの、根底に流れている精神性などは、時代や世代を越えて刺さるものがある。そのような作品だと思います。
今なお完結しておらず、舞台「紅天女」をめぐる、北島マヤと姫川亜弓の物語は、どう決着がつくのか。残りはあともう少しだと思うのですが、いつか完結するところをみたいと思っています。

さくちゃんが、ガラスの仮面が小さい頃から、好きで読んでいたということを知って、私はすごく納得できてしまったんですよね。
「なにわンダーランド2014」の道子とクラリスをはじめて見たときに、さくちゃんの指先から髪の先まで意識が行き届いているパフォーマンス。終わってからチュン吉の鳥篭をもって、歌の世界のクラリスとして優雅に舞台袖にはけていく姿。ライブでは、さくちゃんは自分が歌ってない時でも、表現に徹しています。
これは、さくちゃんの根底にガラスの仮面の北島マヤがいるから。
北島マヤの直球勝負な表現は、さくちゃんとダイレクトに重なる。
そう思えて、すごく納得してしまったのです。
 
そして、「もっともっともっと話そうよ-Digital Native Generation-」のリリースイベントの時に、能面をかぶった写真を撮ってて、これがまるで、ガラスの仮面の紅天女のワンシーンのよう。さくちゃんは、心の中で、紅天女やー!って思っていたのかもしれません。

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ガラスの仮面の7巻~8巻で、北島マヤが端役で舞台に立っていることで、誰よりも存在感が出てしまい、舞台関係者から「舞台あらし」と言われるようになるエピソードがあるのですが、ガラスの仮面が大好きだということを知ってから、「さくちゃんのパフォーマンスは、舞台あらしの北島マヤみたいだよー」と話したことがあります。
そして、さくちゃんが一番好きだと言っていたガラスの仮面の10巻~12巻の「奇跡の人ヘレン・ケラー」のパート。北島マヤと姫川亜弓が、ヘレン・ケラーをどう演じるか、という直接的対決。
ガラスの仮面を読んでる人にとって誰もが印象に残る「目が見えず耳も聞こえないヘレンが、水の存在をはじめて理解する」というシーン。
そのシーンを、さくちゃんと2ショット撮影したことがあります。
ちなみに、姫川亜弓は、水を理解した瞬間、両手で天を仰ぎ身体に電流が走ったかのような表現。北島マヤは、呆然としたあと「ウォウー!ウォォワァー」と叫ぶ表現をしました。

さくちゃんは、どのような表現をしたかというと、井戸のポンプから流れる水に手を当てて、虚空を見つめて心の中を探るように「うぉたうぉたうぉたうぉた」と言い続ける表現をしたんですよね。
私は、姫川亜弓のようなポーズをとると予想していました。しかし、そういったことは一切しない。
「うぉたうぉたうぉた」と小声で言い続けるという、北島マヤでも、姫川亜弓でもない表現をさくちゃんはしたのです。
写真なのですから、普通に考えればポーズを決めたくなるもの。写真映えを目指すもの。

実際にヘレン・ケラーを調べてみると、幼少期の高熱で、視力や聴力、言葉を失った可能性があって、高熱になる前の記憶があったから、水の存在を理解出来た説がある。
そう考えると、さくちゃんの虚空を見つめて心を探るような表現がむしろ、何よりも的確てまあり、リアルということになります。
そして、写真映えする表現はさほど気にしていない。カタチから入るようなことはしない。
まず、気持ちがある。その気持ちを起点にして、それを身体で表現するということを第一にしている。
さくちゃんは、そのようなことを考えて表現をしているように思えるのです。

そのような考えは、ガチンコスターダストプラネットで、さくちゃんが「ひまわり」を歌った時の楽曲を選んだ理由からも分かります。

「主題歌を聴いた時、むちゃくちゃ仲のいい友達が引っ越しちゃって、その時の場面を思い出して、ボロボロに泣いてしまいましたので、この歌を私なりに表現して歌いたいと思って・・・」

一番得意とする、もっともうまくパフォーマンスできる楽曲を選ぶということは、あえてしないしない。
まず、自分自身の気持ちから発せれらる、かたちづくられるものが、さくちゃんの表現なんじゃないか、と思うのです。

剣が君の服部半蔵を演じた時に、どのような楽曲を聴くのかを考えて、プレイリストを作って聴いているという話もしていましたが、さまざまなアプローチで、服部半蔵に近づこうとしていることもうかがえます。

ツヴァイは、感情のないキャラクターで共感することが難しかったのかもしれません。台本を覚えることも時間がかかったと話していましたが、感情がなくても戦いを通して、戦いというコミュニケーションを少し楽しく感じている(のかもしれない)という絶妙な加減で演じていたと思います。
服部半蔵役は、自分と重なる部分を感じて、共感を持って演じていた。台本を覚えるもの早く、良い意味で演劇バカな役者がキャスティングされていたので、とても居心地よく、さくちゃんから楽しさがいっそう感じられる舞台でもありました。

冒頭のインタビュー記事で、「天才と努力家の魂の演技にいつも心うたれました」と言っていますが、たとえはこのTikTokの笑顔センサーで、10きざみで笑顔を作っていくことは、地道な練習をしていないとできないことだと思うんですよね。

そのような努力を地道にしているんだろうなと思います。
そして、殺陣を習い始めたことも、数多くの努力の中のひとつなんだろうなと思います。

ヘレン・ケラーの2ショット撮影をした後の特典会で、さくちゃんが「北島マヤになりたかった」と言っていたのを聞いたことがあります。

そして、その後すぐに、舞台版「キューティーハニー」のアッシュハニーツヴァイ役が決まり、舞台版「剣が君」服部半蔵役、さらに、2021年12月には「環状線物語」へと繋がっていきます。

ガラスの仮面の冒頭のエピソードは、「千の仮面を持つ少女」。これから、さくちゃんは、千の仮面を持つ彩木咲良として、アイドル、女優、作詞作曲、動画編集といったさまざまな方法で、多彩にして多様な表現をみせてくれることを、とても楽しみにしています。


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