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たこやきレインボー「物語をつむぐ音楽」

昔のことですが第三舞台の演劇を見に行って「物語欲」というワードが出てきて、なるほどなぁと思ったことがあります。文字通り、物語を追い求める欲求。古来からの伝承や伝説、神話が存在するもの、そのような欲求があるからとも思えます。
物語を楽しために人は本を読んだり、映画を観たりする。既に存在する物語を受け取り手として楽しんでいる。
アイドルを応援することは、その物語を単なる受け手としてではなく、能動的にオブザーバーとして参加することだと思っています。
アイドルの織り成す物語に自らが入り込むことを意味している。
たとえば、ももクロならは「ポンコツがてっぺんを獲る物語」にモノノフとして参加することになる。さまざまな出来ごとに、泣き、笑い、感動する。物語に参加しているからこその臨場感。物語とその時々の感情をメンバーと多くのオタクと共有する。
アイドルごとに、その物語は存在していて結成からのストーリーを共有している。秋元康のアイドルは、総選挙やメンバーの脱退や加入によって、ダイナミックな物語を演出してるんだろうなぁと思います。
そして、スタプラのアイドルグループのひとつひとつにも物語は存在している。
たこやきレインボーにもドラマチックな物語があります。たとえば、まいまいは、ももクロのフリーライブの時に、理事長からスカウトされるというミラクルがある。
たこ虹の物語は、一言でいうならば「個性豊かなメンバーが甲子園を目ざす物語」ということができます。ただ、たこ虹は、あまり多くを語ろうとしないので、少しばかり分かりにくい。ライブでもメイキング映像がほとんどなく、ライブでも完成品で勝負をするところがあるので、多くを語らず、その背景の物語は推測する以外にない。(そのうち何らかのかたちで分かるようになる時がくるのかもしれませんが・・・)

ただ、その代わりといってはなんですが、たこ虹の楽曲は、ものすごく分かりやすい物語を聴く人に伝えています。
たとえば、はじまりの曲「オーバーザたこやきレインボー」は、たこ虹そのものが集約されてる楽曲になっている。ミュージカル映画「オズの魔法使い」をフィーチャーしたところも、たこ虹の方向性をはじめからカタチづけられてるように感じます。

「たこ虹物語~オーバー・ザ・関ヶ原~」は、文字通り、たこやきレインボーそのものの物語を歌の中に描いています。たこやきレインボーのエンターテインメントを目ざす楽曲になっています。

「ナンバサンバイジャー」はみんなで、努力を積み重ねていこうという決意の楽曲。(この曲はとても意味深いので別途記事にしょうと思ってます)

「にじースターダスト」はメジャーデビューのタイミングで発表された楽曲で、新たなスタートラインに立つ楽曲。

「虹色進化論」は「Rady or no 世代交代 ここからはうちらにまかせて」と歌う以上、実力が伴っていないと説得力がない。そのためにダンスレッスンの合宿をおこない、MV撮影に臨みました。このときを境に、たこやきレインボーのダンスパフォーマンスが向上したという経緯もあります。

「SuperSpark」は、さくちゃんの作詞ですが、みんなで一番星を掴もうという楽曲になっている。
そして、「SuperSpark」が収録されているサードアルバムの「軟体的なボヤージュ」自体が、たこやきレインボーそのものの物語になっているコンセプトアルバムになっています。

たこやきレインボーは、自らが歌う楽曲で物語をつむぎ、前に進んでいくグループなのです。

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