さくちゃんへのお手紙(2022年5月21日)

さくちゃん、こんにちは!
こんばんはだったらすいません。今回もこんな感じでお手紙を書くことにしました。読んでもらえるかわかりませんけど。まあ、それはそれでいいじゃん!(いやいや、印刷して後日、郵便で送るかもしれませんが)

最近、プラモデルを作りを再開しました。こんな感じのを作ってて、完成したらすぐにヤフオクに出品します。完成したものには、さほど執着はないんですよね。売り上げは推しごとの軍資金になるわけです(笑)

私が模型を作りはじめたきっかけは、一生懸命やっていた仕事が突然終わってしまったことなんですよね。1999年から続いていた仕事が、2006年に終わってしまって。それはもうめちゃくちゃショックで。忙しかったのに、急に時間がぽっかり空くようになって。
そのときやりのこしたことあるかなーって考えたんです。いまさら音楽や演劇っていうのもないよなーって思って、ひとりでできることを考えていたら、そういえば中学校の頃、プラモデル作りに挫折したなーってことを思い出したんです。まあまあ挫折ばっかりな人生だったわけですね笑
その頃、買ってたプラモデルは処分してしまったのですが、なんとなく捨てられず唯一残していたキットがこれ。私がちょうどさくちゃんくらいの年齢の時に買ったものなんですけど、まだ完成できずにこんな状態です。完成したら、つよぽんさんに差し上げる予定なんですけど‥。

いきなり話がそれてしまいました。
そんなわけで、2006年にプラモデルを作りたいって思って、模型屋さんがないか調べてみたんですよね。そしたら、なんと、ご近所にあったんです。嫁と結婚して住みはじめた街とはいえ、結構これまで何度となく通ったことのある通りにあって、なんで気が付かなかったのかすごく不思議なんですが……。でも気にしてなければ見えてないのと同じなんでしょうね。

て、その模型屋さんに実際に行ってびっくりしたんです。めちゃくちゃ上手い模型の完成品が、ずらーっと並んでて、え?どういうこと??って思って。その模型屋さん、模型誌に作例記事を書いてるプロのモデラーさんが常連さんになってるお店だったんですよね。
そのお店に通っているうちに、プロの方からいろいろとアドバイスを頂いて、気がついたら模型誌で記事を書くようなこともするようになってました。

その時のことなのですが、私の師匠ともいうべき人の作品と、自分の作ったものを並べてみたことがあるのです。それがもう、ホントにぜんぜん違うもので、色使いからタッチから何から何まで違ってて、その方からたくさんのことを教えてもらって、自分なりに真似をしてきたのに、結果的に出来上がるものはまったく異なるものになる。
これってどういうこと?って思ったんです。
それからしばらくして模型のつくり方を教える機会があって、ある方にマンツーマンで教えたことがあるのですが、これがびっくりするくらいに、まったく伝わらない。できる限り具体的に、誰にも分かるように教えているのに、どうしても違ってくる。
どうしてなんだろう?って考えたのですが・・。
このとき、はっ!って気が付いたんですよね。もしかしたら、見えているのもがまったく違うんじゃないか?っていうことに。
その人が見えているものと、私の見えているのもが違うからまったく伝わらないんじゃないか。師匠の作品と自分の作ったものがまったく違うものになるということも説明がつく。

表現するということは、自分にしか見えていないものをカタチにしていくことなんじゃないかって思うようになったんです。

少し前に、トレパクが問題になっていました。最近ではまったく話題にならなくなってしまいましたけど、この問題の本質は、他人はもちろんですけど、大勢がみえているものを自分自身のものとして表現してしまったことにあると思うのです。

12月からのさくちゃんが出演している舞台をみて、さくちゃんの演技がどんどん進化していくように感じられて、さくちゃん自身にしか見えていない自分自身の表現を、どんどん突き詰めてるんだろうな・・って感じました。

でも、もしかしたら、このときこんなふうにしておけばよかったとか、もっとできたはず。そんなふうにも感じてるのかもしれないなぁと思ってしまったんですが、最近、栗林みな実さんのブログを読んで、とても共感してしまったんですよね。

もう、ホントにその通りで。私自身、全く同じように感じています。
でも、できなかったって感じることは、むしろ大切なこと。そこで満足してしまったら、それ以上はないわけですから。
まだまだできたはずと感じることは、とても良いことだと思うのです。
最近、私は結構、上手くできてるじゃん!って思うことが多いので、もうのびしろはまったくないんだろうなーと思うのですが。

見えてるものの違いの話に戻るのですが、舞台で演じている演者と観客でも見えてるもの、感じてるものは違う。でも、その違いこそが面白いと思うのです。

私は、noteにたこ虹のことやメンバーのことをたくさん書いてますけど、私が見えているそのままのことを書いています。他の人と見えてるものと違いがあるのは当然のこと。でも、私自身が見えてるもの、私にしか見えてないものをかたちにすることが表現なのですから、これからも書き続けていきたいって思っています。

さくちゃんの表現は、ホントに多種多様で、歌、ダンス、演技、作詞作曲、写真、動画編集、絵、文章とめちゃくちゃ幅が広くてホントにすごいです。そして、そのひとつひとつがさくちゃんにしかできない唯一無二なものですから、心のおもむくままに自由に表現して、かたちにしていってくれたらとても嬉しいです。

さくちゃんの書く文章の魅力はいさぎよさにあると思うんですよね。文章を書く人はたくさんいますけど、いさぎよい文章を書ける人は少ないです。というか滅多にいない。いさぎよくない文章を書く人はわんさかいます。書き過ぎて過剰になって、その分、伝わらないものになってしまう。私自身もその傾向がなるなーって思っているのですが笑

さくちゃんの文章は、いさぎよいので読みやすくて、心にすーっと入ってきます。普通はこうは書けないです。めちゃくちゃ凄いことです。
文章を書くことは、恥ずかしいことでもあると思うので、ついついかっこつけたりしてしまいがちですが、ありのままをかたちにするいさぎよさがある。
ありのままなので、とても、リアルに感じられて、説得力がある。

表現って、心が揺れ動くことが大事だと思うんです。その揺れが大きければ大きいほど、良いものになる。心がまったく揺れ動かない人に良い表現ができるはずないんです。たとえば、自分は最高じゃん!才能あるじゃん!って思ってるような人に良い表現ができるわけがない。歌がめちゃくちゃ上手くても、なにか心に響かないような歌手っていますしね。

心が揺れ動くことからうまれる表現こそ、多くの人が共感してくれる表現になると思うのです。
なかなかどうして、しんどいですけど、こればかりはどうしょうもないわけですが、心の中に師と仰ぐ人がいるならば、師匠ならどうするだろう?って考えたら、少し気持ちが楽になるかもしれません。
それから、まあ、寝ることがいちばんですね!笑

さくちゃんの凄い才能のひとつに、その時々で、最も適切な言葉を選ぶとこができることだと思っています。たくさんある無数の言葉から、たったひとつを選ぶことができる。
南港で「直接会うのは2年半ぶりだよー!」って話したら『えー?そうだっけ?ぜんぜんそんな気がしない』って言ってくれて、その一言がめちゃくちゃ嬉しかったです。ありがとうございます。

さくちゃんの表現するひとつひとつを、これからも楽しみにしていますね。
またお手紙を書きます。

2022年5月22日
もんじ

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