清井咲希の天性
※この記事は2020年8月4日に書いたものです。
さきてぃのバースデーパーティ、とても良い配信でした。
台本を作り、しっかりとした構成で、笑いあり涙ありの、たこやきレインボーにしかできないバラエティ番組でした。
新たに導入した配信機材を効果的に活用してて、おそらくなローランドの「GO:LIVECAST」という製品だと思うのですが、さくちゃんが編集したオープニングムービー、スマホを活用しての2カメを効果的に使ったり、コーナーによってBGMを流したり、タイトル画を表示したり。ちょっと画質がキレイになったように感じられるのは、美肌フィルターを使っているのかもしれないですね。
たこ虹のオンラインサイン会も楽しくて、名前を呼ばれるまでのドキドキ感。届いたサインも嬉しくて、時間が掛かったもののサインを持った写真の特別感もこのうえないほど感慨深いものがあって、オンラインといえどもリアルなたこ虹の特典会を彷彿とさせました。
特に面白いと思ったのが、各メンバーの特典会のレーンの雰囲気が感じられたこと。
私は、さくちゃんレーンのことしか分からなかったのですが、特に、さきてぃが想像していたよりもずっと奔放で自由。思わず去年自分で書いたさきてぃの記事を何度か読み返して、確認をしたりしてしまいました。
そんな、さきてぃを見て思い浮かべたのが「天衣無縫」という言葉です。天女の衣には縫い目がない完全無欠なもの。純粋さ、無邪気、天真爛漫。
清井咲希という人は、天衣無縫という言葉を体現しているように感じました。
2019年の秋にさきてぃが出演した舞台『はい!丸尾不動産です。〜本日、家に化けて出ます〜』を観ることができたのですが、これがとても素晴らしくて。脚本、演出、出演者、どの点をとっても非の打ち所がないクオリティの高さ。テーマも深い。
さきてぃは、亡くなってしまったおばあちゃんが、女子高生の姿(おばけ?)として、開演30分後くらいから登場する役どころ。見える見えないといったドタバタや、ソロで歌ったり、一癖も二癖もある登場人物のさまざまな思いが錯綜しつつ物語が進み、でも、最終的にはハッピーエンドとなる展開。
舞台が進行するにつれて、どんどんと役にハマりこんでいくのが映像を通しても感じられて、光子おばあちゃんに感情移入していって、舞台に立っているのは、たこやきレインボーの清井咲希ではなく、光子おばあちゃんに見えました。
亡くなってしまったおばあちゃんが、女子高生として蘇り、精神と身体が物語が進むにつれて一致していき、新しい身体となって天に召されるというようにも私には感じられたのですが、とても難しい役どころを、さきてぃは真摯に演じていたと思います。
いきなり、演劇論的な話になるのですが、私は、役者にはクリエーターとプレーヤーの2通りのタイプがいると思っています。
クリエータータイプの役者は「神の目」「鳥の視点」を持ち、俯瞰して演劇を捉えて演技する。演出もできる。物語の世界観を一瞬で理解し、自分の中に取り込むことができるタイプ。
さくちゃんは、クリエータータイプの女優の資質を持っています。
さくちゃんがキューティーハニーエモーショナルのアッシュハニーツヴァイの衣装を着た瞬間、今までに見せたことのない表情になったこと。たこやきレインボーのさくちゃんでも、彩木咲良でもない。どこか影があり、クールでカッコイイ、ツヴァイ役になりきっていました。動画編集や、TikTok、家にいるTVのさくぴょん回でも、クリエータータイプの役者ということを感じさせます。
さきてぃは、プレーヤータイプの女優。演じるキャラクターの心情や心理に、自分の気持ちを重ねて演技をするタイプ。
クリエータータイプが上空から世界を俯瞰してみるのならば、プレーヤータイプは、演じるキャラクターの心の中に、深く潜り込んでいくことで表現をするタイプといえます。
この2つのタイプは、勝新太郎と中村玉緒夫妻がまさしくそれで、勝新太郎は映画製作や監督もするクリエータータイプ。
中村玉緒は、テレビのバラエティー番組に出演していて、面白いおばちゃん的な印象が強いですが、典型的なプレーヤータイプの女優。出演する映画の台本を渡されても、全部読むことなく、自分の台詞だけを覚えて現場に行くという逸話があったほどです
勝新太郎には、さまざまな武勇伝や伝説のような話があって、どうしても怖がる演技ができない後輩俳優を、「俺が演技を教えてやるよ」と言って、購入したばかりの高級車に乗せドライブ。めちゃくちゃな運転で暴走し、車を大破させ、恐怖に引きつり放心状態の後輩に勝新太郎は「その顔をすればいいんだ!」と語ったという。そのような逸話があります。テレビのバラエティ番組で知った話なので真偽のほどは定かではありませんが、でも、勝新太郎ならばありそう・・と思える話です。
少し前に「なにわのはにわ」と「絶唱!なにわで生まれた少女たち」を目隠しで踊るという動画が公開されました。さくちゃん編集の動画ですが、この時、さきてぃは腰が引けるほどの怖かったのか、ただオロオロするばかりになります。
また、家にいるTVでも、怖い話やホラー映画のネタでは怖がって、場合によっては怒りだすほどの感情をみせて拒絶することがあります。
あまりに極端な行動に、わざとなの?とも感じられなくもないのですが、これはおそらく本当にガチに怖いんじゃないかって思うんですよね。
まわりの人が思う以上の恐怖を感じているんじゃないか。
でもこの、極端なまでの怖がりはプレーヤータイプの役者には、この上ない資質ということもできます。なにしろ「怖い」が演技できるのですから。勝新太郎の運転する車に乗って恐怖を体験しなくても、怖がる演技ができる。ということになります。
さきてぃは、正直にネガティブさを口にしたり、「わからない」と言ったりもします。このときのさきてぃは、ホントに分からないんだろうと思うのですが、分からないということは、分からない演技ができる、ということになります。今、口にする台詞から、どのように芝居が展開するかわからない。ステレオタイプな演技にならない、ということもいえます。
そんなふうにさきてぃを見ていると、そのひとつひとつに、女優としての資質が、私には感じられるようになってきて、思わずこの記事を書きたくなってしまったわけですが・・・。
そして、同じグループ内にクリエータータイプの女優である、さくちゃんがいるというのもすごいのですが、さくちゃんのおはなしは次回に書けたらと思っています。
最近のインタビュー記事で、さくちゃんがさきてぃを「割れへんガラスのビンの中で育てられたきれいさがある」と語っていましたが、すごく言い得ててるように感じられて、いろいろと考えているんですが、「割れへんガラス」ということは、強さや頑固さの象徴なんだろうな、とか、割れへんガラスのビンということは、厚みのある球面のガラスということになりますから、見る方向によって見え方が違って見えるっていうことなのかなぁ、と思ったりしています。
また、さくちゃんは別のインタビューで「この子はそれが正解やと思ってやってるな」と思うし、その正解を崩したくない・・・」と語っています。
たこやきレインボーは、メンバーひとりひとりが独自の正解を持ち、互いが、その正解を尊重し合うグループ。
さきてぃのバースデーパーティの最後に、メンバーが語った言葉は、そのことを確認し合うもののように感じられました。
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