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舞台 剣が君 - 残桜の舞 -再演

「舞台 剣が君 - 残桜の舞 -再演」、無事、千秋楽まで完走しました。私が観たのは3公演。アドベンチャーゲームの舞台化ということで、どのような感じのものになるのか想像がつかなかったのですが、演者がステージをところせましと躍動する。すごい熱量と熱気を肌に感じるような舞台でした。
おそらく要所要所でゲームのキャラクターの台詞を使い、物語を再構築することで舞台を創っていると思うのですが、なにがイイってキャスティングのハマリ具合が素晴らしい。
ひとりひとりが魅力的で際立ち、殺陣の迫力が凄まじく「舞台でカラダを動かすのが楽しくてたまらねー!」「どうだ俺強いだろ?カッコイイだろ?」というような演者の気概が声となって聞こえてくるような気さえする。
今このような状況だからこそ面白い演劇を届けたい。舞台の楽しさ面白さを満喫しようぜ!そんな強い気持ちがひしひしと伝わってくる・・・。その姿はまるで、演劇界、エンターテインメント業界のままならない状況に対しても、懸命に真摯に抗おうとしているようにも感じました。

剣が君の世界観は「ロード・オブ・ザ・リング」の指環を刀に置き換えた感じに似ていると思うのですが、日本人の情緒的に「チカラの宿る刀」の方がむしろ馴染み深いものがある。勧善懲悪のように単純ではなく、鬼といえども鬼の立場があり道理がある。人と妖怪と鬼が共生する世界は不寛容にあふれ、その中で自分の意志を貫き、でも時に後悔し、あるべき道を模索し続ける。
歌の中に出てくる「確かなものは何もない、何一つない」という歌詞も、どことなく今、現在ともリンクするものを感じます。

全体を通して一貫して分かりやすい演出。
登場人物たちの目指すものは異なり、思惑は絡み合い、絶妙なバランスを保ちつつ物語が進んでいく。ほどよく適度な複雑さで、何度か見て「あっ!なるほど!」と気づくようなつくり。そして、「九十九丸、螢」「鈴懸、縁」「黒羽実彰、鷺原左京」の3ルートの物語は、ルート違いを見ることで「剣が君」の世界の全貌が頭の中で構築される。それはあたかもパズルが組み上がっていくような楽しさもある。
配信をみるとさらに脳内で整理されていくという体験は、とても新鮮に感じました。
3ルートを9公演で3回ずつ演じることは、とても大変なこと。でもそれによって、剣が君の世界の広さや奥深さが伝わってくる。一日2時間のインターバルをとっての2公演はタイトすぎるスケジュールで、とても大変だったと思うのですが、リピーターにとってはこれ以上ないつくりに思いました。

初日を迎えるまでにいろいろなことがありましたが、急遽、香夜役に決まった浜浦彩乃さんは舞台上で堂々たる存在感。初日間近のタイミングでハバキ憑き役になった千田阿紗子さんは、円熟味さえも感じる演技。初々しい女性出演者が多い中で、バランスを保つ役割もになっているように見えて、実力のある方だと感じました。

私は、たこやきレインボーの3人、彩木咲良さん、根岸可蓮さん、春名真依さんのファンで、彩木咲良さん推し。ビジュアルが公開された時に、あまりのハマリ具合で想像がふくらみ、舞台を見ることを楽しみにしていました。セリフは決して多くはないものの、3人がそれぞれ独自のキーパーソンになっており、物語に大きく関わるキャラクター。舞台で紡がれる物語のクサビとなるような存在で、それぞれの役に真摯に向かい合って演じてる姿にグッときました。

重いテーマの物語の中で、マダラはさわやかな風をもたらす存在。マダラが舞台にいる時間はひとときの癒し。演じる根岸可蓮さんは、特殊なタイプの女優だと思うんですよね。人柄がすべてを凌駕する。そうとしかいいようがない存在感で、どんな役にも独自のスタイルで演じることができるのでは、・・と感じました。

七重役の春名真依さんは、たこやきレインボーのライブでも長身と手足の長さで際立つパフォーマンスをしますが、舞台でも映える存在。特徴ある声は、たこやきレインボーのボーカルに個性をもたらしていますが、舞台においても、とても際立ちます。演者が多い舞台において、声質で自分を際立たせることができるということは、とても強いアドバンテージに思いました。

そして、彩木咲良さん。演じる服部半蔵は、舞台においてとても難しい役柄。服部半蔵の名前を持つ一流の忍者。忍者であるからには「忍ぶ」存在でなければならない。忍者は存在を消すことが本分。それは舞台で表現することと相反しているわけで、服部半蔵を演じることはとても難しい。
彩木咲良さんは舞台で、台詞は少しトーンを落とし気味にしつつも分かりやすく。そして「凛として立つこと」で、服部半蔵を演じたように感じました。
最終稽古の時に、彩木さんは、

「私は普段猫背だけど半蔵さん姿勢がいいから腰と肩が痛いです」

とインスタグラムで書いていましたが、これはさりげに凄いことを語っていると思うんですよね。
私は、1994年に勝新太郎の晩年の舞台「不知火検校」を観たことがあるのですが、そこで究極と言っていいほどの「立つ演技」を目撃しました。不知火検校は、盲人の按摩が悪事を重ねて地位を上り詰めていくという物語。青年期から老人になり、亡くなるまでを描いた一代記で、冒頭、青年期から演じの勝新太郎は、どうみても20代にしかみえない身体の線をしてたんですよね。この時、勝新太郎は60代。やがて、物語が進むにつれて、勝新太郎ひとりが少しづつ年老いていき、他の出演者はそのままに、勝新太郎だけが早送りのように時間が加速していく。あまりに凄かったので、終演後、同行した友人とその事で熱く語り合ったのですが、どうしてそんなふうに見えたのか。若い人が老人を演じることは出来ても、老人が若い人を演じるというのはなかなか難しいと思うのですが・・。
服部半蔵の凛とした美しい立ち姿に、勝新太郎の往年の演技を思い出してしまいました。

服部半蔵演じる彩木咲良さんで気になったことがひとつあって、それは、肩から腕にかけて筋肉がついているように見えたこと。役柄に合わせるために筋肉をつけたのか、殺陣の稽古で自然と付いたものなのか、メイクを少し施してるのか、それとも力を入れて筋肉を強調してるのか、実際のところは分からないのですが大事なことはそう見えること。そのようなディテールを積み上げることで、演劇空間はよりリアルになるもの。
彩木咲良さんは、演じる人物を掘り下げて、綿密な役作りをして舞台に立っているんだな、ということを感じました。

「剣が君」の舞台は、ミュージカルとしても完成度が高いと思うんですよね。私自身の個人的な考えなのですが、ミュージカルには大切なものが2つあって、ひとつは一度観ただけで記憶に残る楽曲の主題があること。そして、普遍的なテーマを物語として描くこと。名作とされるミュージカルには、必ずこのふたつの要素を兼ね備えています。
剣が君の楽曲も頭に残り、何回か観てると泣けてくるような気持ちにもなる。そして、物語のテーマは「不寛容」といえると思うのですが、これはギリシャ悲劇からシェークスピアまで、ずっと描きつづけられているテーマ。
千秋楽でも語られていましたが、続編やライブとして、今回の公演でひとつのチームとなったメンバーが再び、集結することをとても楽しみにしています。


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