さくちゃんへのお手紙(2022年7月15日)

さくちゃん、こんばんは!お元気ですか? 私は、ちょっと喘息気味になったり、腰痛になったりしましたが、今はすっかり元気です。めちゃくちゃ暑くなったと思ったら、梅雨に逆戻りしたり、かと思えば、感染拡大傾向になったり、大きな事件があったりして気持ちが沈むことが多いですけど、さくちゃんがインスタで更新してくれると嬉しくて、その都度、スマホの待ち受け画面を変更するのが楽しみになっています。

さくちゃんが髪を切ったり、染めると印象がガラッと変わって、さすが、千の顔を持つさくちゃんだなーって感じています。
私は、さくちゃんの表現のひとつひとつが大好きです。演技やダンス、歌はもちろん、作詞作曲、動画編集や写真、そして、さくちゃんがつむぐ言葉も大好きです。さくちゃんの表現の凄いのは情報量が膨大で、見えているものはほんの一部分で、その背景や奥底に、すごい「量」を感じるところです。さくちゃん推しは、さくちゃんの中に宇宙を感じる人がいる人が多いようなんですけど、表現が違うものの同じようなものを感じているのかなって思います。さくちゃんは、もしかしたら、そこまで考えてないでーって言うかもしれませんけどね。

ずっと昔、私が同人誌をやっていたころに、ある人から「何でもできるっていうのは何もできないっていうことだと思う」って面と向かって言われて、すごく思い悩んだことがあります。え?それ、私のこと完全否定されてる?って思って。そう言った人は、すごく文才がある人でなおさら思い悩んでしまったわけですが。そもそも、私自身、何もできないから文章を書き始めたわけで、でも、その人の目には、私は何でもできる人って見られてるって思われてるのかなぁ・・、そんなことないのにって思ったり。その言葉の意味を考えれば考えるほど分からなくて。もしかしたら、その人の言葉は、さほど意味のないもので、単なる言葉遊び的なものだったのかもしれませんが、20代前半の私の心の中をかき乱すには十分なものでした。
今なら、「何でもできるって何でもできるってことじゃん!言葉が心の中にまとわりついて、身動きがとれなくなっちゃうって最悪じゃん!」って反論できるんですけどね。
他人から見られてる自分と、自分の感じてる自分って、ギャップがあって、そのギャップがいろいろと厄介なことになる。自分の声を録音して聴いたとき、えっ?これが自分の声なの?って感じるのと同じようなことなのかもしれません。でも、逆に、誤解させておけばいいのかもな・・って気が付いたのは、それからずっと後のことだったりするのですが。

最近「メイドインアビス」を嫁と楽しくみています。描写がエグすぎて楽しいとはほど遠い感じなんですけども、すごく面白い。もしかしたら、このアニメを面白く感じる人は限られているのかもしれませんが・・。
「メイドインアビス」と「その着せ替え人形は恋をする」は、テーマがすごく似てるって思ってるんですよね。一見、方向性のまったく異なるアニメなんですけども。
メイドインアビスの主人公リコは、アビスの深層部に行きたいという衝動に突き動かされている。着せ恋の主人公、喜多川海夢はコスプレがしたい!っていう衝動が出発点になっている。
よくよく考えたら、さくちゃんへの手紙をたくさん書いてきましたけど、さくちゃんを応援したい!っていう衝動に駆られてだよなぁ・・と思いますし。
そして、さくちゃんの心の中にある表現したいっていう衝動が育っていくのを、静かに待っていますね。
でも、疲れてしまったり、しんどかったら休むのがいちばんです。休めるときに休むのが良きです。だって、人生において休める時間なんてホントないですから。
時間は振り返ってみると短いものですけど、前にある時間はたんまりありますから大丈夫です!
またお手紙、書きますね。

2022.7.15 もんじ


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