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たこやきレインボー「文化と歴史の流れとしてのアイドル」

まいまいの「アイドルのアイドル論」、「憧れ対象としてのアイドル」を、とても興味深く読みました。最後に「当初書こうとしていたことと変わってしまって文章やタイトルを変えた」と書いていますが、それによって、まいまいが考えていることがむしろ自然に伝わってくるものになっていると思いました。

アイドルのカタチは、アイドルの数ほど違いがある。ファンの受け取り方はもちろん、求めてるものにも違いがある。だからこそ、アイドルとは何かということを問い、考え続ける必要がある。自分の立ち位置を確認するために、そして、自分がどうあるべきか、ということを模索し続けるために。
まいまいの書く文章から、そのような気持ちを感じました。そして、同時に、理想とするアイドルに向かって努力し続けようという決意表明の意味にも感じられます。
真意は、誰にも分からないことではあるのですが、そう受け止められる、感じられることがステキなこと。そう、私は感じます。

アイドルという存在は、世界各国にあると思うのですが、アイドル文化は日本独自のものというか、地域の文化によって根っこの部分、本質的なものはまったく異なるものだと思います。
文化というものは、いきなり突然パッと現れるものではなく、昔からあるものが、どんどんカタチを変え、変容を重ねて今に繋がっているもの。たとえば、ゆるキャラ、ご当地キャラというのも、妖怪やおばけといったものが、日本の文化として定着していたからこそ、急激に広がっていって、日常の中に溶け込んでいったと考えることもできる。
このような文化は時代と地域を越えて流れていく。その実例はたくさんあって、たとえは音楽のジャンルとしての例をあげると、アメリカのカントリーミュージックの源流は、アイルランドの民族音楽であるアイリッシュトラッド。ブルースの源流はアフリカ。というように、時代とともに流れていくものです。

日本におけるアイドルの原点は何かというと、日本の神話にある「天野岩戸」の伝説に登場するアメノウズメノミコトだと思うんですよね。
天野岩戸にお隠れになった、アマテラスオオミカミの気を引くために踊りをおどり、気になって覗きを見した瞬間、チカラの強いアメノタジカラオノカミが天野岩戸を開いて、世界に光が戻ったという伝説。実に、アメノウズメノミコトは、芸能の神様であったりもします。天野岩戸の伝説は、数多く映像化されてますが、たとえば、1959年の映画「日本誕生」では、乙羽信子がアメノウズメノミコトを演じてて、アイドルを彷彿とさせるものになっています。

そして、平安時代末期から鎌倉時代にかけて人気を博した白拍子も、実質的にアイドルだったんじゃないか。
中でも特に、静御前が有名ですが、SNSはおろか、ラジオやテレビがなかった時代に、全国規模で名が知れて、時代を超えて現代にも名前が残るということは、相当なものだったんだろう・・・と思います。
そういったもの、芸能や文化、学問を担う者か「道々の者」とも言われるのですが、とかく下に思われがちだったり、でも、それを引き換えに自由であるというイメージは、どことなく、現在の日本におけるアイドル像と重なるものがあります。

さしずめ、江戸時代の浮世絵、特に美人画はアイドルの「生写真」に、近いものがあるんじゃないかなぁということも思います。

4年くらい前だったと思うんですけども、フジテレビNEXTの「あたしの音楽」に、たこ虹が出演して、くーちゃんとさくちゃんが、はっぴいえんどの「風をあつめて」を歌ったことがありました。生演奏のバンドのギターには、はっぴいえんどのメンバーである、鈴木茂も入っている。

想像なんですが、おそらく、きくちPは、鈴木茂を、くーちゃんとさくちゃんに、すごい人だからって紹介したんじゃないかと思うんですよね。
でも、私は、ほんとにすげーわ!って思って、これがいかに凄いかってことを、さくちゃんに手紙を書いたことがあります。その頃は特典会で手紙を渡せて、さくちゃんに日本のロック史の手紙書いてきたー!って話した覚えもあって、我ながら何をやってるんだろうという気もしなくもないのですが、でも、日本のロック史、音楽の系譜として、たこやきレインボーって、とても面白くて、意味のある存在っていうことを、その時に書いたのですが・・・。
私がみてきた、今まで聴いてきたいろいろな音楽や、映画、演劇をひっくるめたエンターテインメントを照らし合わせても、掛け値なしに、たこやきレインボーを面白く感じていて、日本の脈々と流れている音楽史の中で、あのタイミングで、はっぴいえんどの「風をあつめて」を歌うって、すごいなって思ったんですよね。

日本のロックのはじまり・・・というか、日本語でロックができることを発見したのは、はっぴいえんどと言われています。諸説あるようなんですけども、私は、この説は正しいと思ってて。当時は、日本語でロックは歌えるのかという論争があったほどで、はっぴいえんど以降、その論争がなくなったことを考えると、つまり、ロックが日本語で歌えることを証明したのが、はっぴぃえんどということになるわけです。それからしばらくして、同様のことがラップでもあって、日本語でラップはできないとさえ言われたのが、いとうせいこうができることを発見し、証明してみせた。そして、ラップは日本に定着したのですが、ももクロのラップ曲「5 The POWER」を提供してるのがいとうせいこうっていうのも面白いって思うわけですが・・・。

はっぴいえんどは、大瀧詠一が細野晴臣に言ったひとこと。「バッファロースプリングフィールドが分かった」という言葉からはじまったと言われています。では、大瀧詠一は、バッファロースプリングフィールドの何が分かったのか・・・?
それは、はっぴぃえんどのファーストアルバムの一曲目で、なんとなく推測できるものになっています。
一曲目の「春よ来い」の出だしの歌詞は
「お正月といえばこたつを囲んで お雑煮を食べながら かるたをしてたものです」
日本人なら誰もが持っている共通のイメージ、風景をそのまま歌詞に落とし込んでる。

そして、さくちゃんの作詞した「一緒に帰ろう」は、コロナ禍で自粛している情景や気持ちを、そのまま歌詞に落とし込んでいる。

表現する根っこの部分が共通しているように感じられて、そういうところが、すごく面白いって思うんですよね。

さくちゃんが、初めて作詞した「女の子」は、その時に思っていることをそのまま歌詞にしたと、さくちゃん自身が言ってて、実際その通りだと思うのですが、さくちゃんに「テッシーから何か言われた?」って聞いいてみたことがあって、その時、さくちゃんは、声のトーンを下げてボソッと「ようやった」って言われた!って、教えてくれて、
その、「ようやった」っていうひとことに含まれるもの、そして、このひとことから、「一緒に帰ろう」に繋がっていることを考えると、とても面白い。
たこ虹では、まいまいも作詞をしますが、まいまいは、さくちゃんと真逆のスタイルで、そういうところも面白く、可能性を感じているところなのですが・・・。

文化は、果てしなく流れているもので、その中で「発見と証明、応用」が繰り返されています。はっぴいえんどが日本語でロックができると発見し証明し、日本のロックが系譜として繋がっている。その中で、ユニコーンが登場して、長い時間を経て、たこ虹バンドにテッシーが参加して、さくちゃんがユニコーンが好きになる。バッハが発見したカノン進行を、さくちゃんが応用して「一緒に帰ろう」をつくる。
そういう現実が、すごく面白く感じるんですよね。

たこやきレインボーも、ひとつの発見をしようとしているんじゃないかと思ってて、声質もボーカルスタイルも異なるボーカルグループの可能性を追求していったら・・。もちろん、ボーカルグループは、たくさん存在していますが、声質が似通っていたり、兄弟姉妹だったり、メインボーカルとその他と分かれていたりと、たこ虹のように5人が対等に共存し、ボーカルの質の違いを尊重しあって、パフォーマンスするグループは、いなかったんじゃないか。そもそも、声質の違いはデメリットでしかなく、ハーモニーを作るなら声質が似通っている方がいいわけで・・。
違いを尊重して可能性を追求することは、現在において、とても重要なテーマであり、でも同時に「言うは易く行うは難し」なもの。
たこやきレインボーは、エンターテイメントとして、それを証明しようとしているグループだと思っています。




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