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魔術師とかアルケミストとか(その2)

さて先日の続きです。

美容師としてお客様から様々な相談を受けたり、個性のタイプやバイオリズムなどについて研究しながら、忙しい日々を過ごすうちに。年齢的なこともあり徐々にチームリーダー的な立場へとなっていきました。

チームといっても10人くらいのものですが、日々チームメンバー、一人一人のメンタルのチェック、教育、連携がスムーズにいっているかどうか?などなどを見ながら、自分もお客様を接客するという日々でした。

その時のチームは、実に頑張り屋さんの人が多いチームでしたね。懐かしいなぁ。丁度その頃、何度か「店を持たないか?」という誘いがありましたが(いわゆる、雇われ店長のオファーですね)そもそもが、ぐーたらで引きこもり気質な私はそれらのお話は、全て丁重にお断りしていました。

なんだかんだで、そろそろアラフォーじゃないか!という年齢でもありましたしね。体力の限界もひしひしと感じていました。(切実!)

この時期は、とにかく自分の個性とは正反対のことをする時期でしたから、かなり消耗していたのです。それは単に「嫌だ」ということではなく。同じことをするのにも2、3倍の労力がかかり、その分努力と根性がいる。という感じです。

この体験は私の人生においては、とても貴重なことでした。実は「意識的に生きる」という点においては、苦手なことや辛いことをするのは非常に大切なことなのです。

なぜなら、人は嫌なこと辛いことほど覚えていられるからです。これはすなわち、嫌なこと辛いことをするときほど人は意識的に生きている。ということでもあります。

まぁ、中にはそれが自分の選択である。ということが、わからないために奴隷のような気分になってしまう場合もありますが・・・。その場合は「嫌だ」を認識し、そこから抜ける選択という体験も合わせてする必要があります。

最近のスピリチュアルにおいて、大変なこと辛いこと努力を要することは、案外嫌われがちではありますが(笑)大変なこと辛いことをすることも、意識的に生きる修行と捉えると、かなり有効な修行ではあるのです。

苦行とかありますよね。仏教なんかも。アレもおそらく「苦」になってから「行」が始まるのではないかと。

ちなみに、大変なこと辛いことを、真剣に一生懸命やる副産物としては、謙虚になる。というのがあります。苦手なことを頑張ると、単純にそれが得意な人のことを素直に尊敬できたりしますね。

起きること全てに意味がある。という言葉がありますが、起きること全てに意味を見いだすことが出来る自分になろうとする。というのも、ある種修行なのかもしれません。

この後、私は望みを叶えるノートに書き込んだように、自分のお店をだし結婚もするのですが。そこにはかなりハードな出来事がちょいちょい挟み込まれていきます。

今後ボチボチと書いていこうと思いますが、おそらくそのハードな出来事が起きたのは、私のタイプも関係していたのだと思います。まぁ単に起こるべくして起きた出来事ももちろんありますけども。

三次元の歪みには注意が必要なのですよ。皆様も是非お気をつけ下さいませね。というわけで、またまた長くなったので、次回へと続きます。

お読みいただきありがとうございます。スキやフォローめちゃめちゃ嬉しいです!ではまた!

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