昭和31年 片倉政幸の日記(2月)

2月25日(土)

大して寒い思ひもしないのに午前中から頭が痛かつた           残業をして帰り、頭痛のくすりをのんで早くねる。            味気ない夫婦生活である結婚して四年余半よくもすごして来たものだ。今まで、そしてこれからも、離婚もせずに味気ない生活をつゞけて行かねばならない。妻を愛してゐるせいであらうか。”離婚”といふ事が外聞がわるいから その事から自分を保護しようとするのであらうか。又はつまらぬ生活でもつづけて行く事が人道にかなふと考へるからだらうか よくわからぬが 味気のない生活を、いつまでも、死ぬまでもつゞけるのだらうか。          妻も、俺に対して、実に形式的で自務的で…               自分を向上させようとする気もない。やる事が粗雑で、いやになる。


娘からの注:

父と母が、いつから、なぜうまくいかなくなったのかわからないが、母が書いた「昭和26年度」の家計簿が残っている。その中に父が書いたメモが挟まっていた。                               ◎母が居る為に思つてゐても出来ない。良くうなづけます        「事ある度に、母の為に不手際を演ずるならば」老衰してゐる事を、母の前に事実を上げて自覚せしむべきではなからうか?時期尚早?         ◎私自身もであるが「性格です」と云って其のまゝではゐられない「努力」が必要だ 「うれしいわ、ありがと」                   ◎夜もろくに眠らず子供の世話をする貴女の姿は世の母と同じく敬伏してゐます本当に。

『子供の世話』は時期的に長女・桂子のことと思われる。結婚して一年でこんな書付けをしているので、おそらく姑のはなの存在が家庭の中で大きく、夫婦仲を構築するまえに家族関係に歪みが生じたと想像できる。また母は良く言えばおおざっぱ、悪く言えば鈍い性格の人だった。細かいところに気が回らず、面倒くさがり。(昭和26年の家計簿を昭和27年に使っているのがいい例だ。)些細なことまで気にする父とはおせじにもいい組み合わせとは言えない。このメモは次の文章で終わっている。               『明日はお目出度い日です。気分をこはし合わず立派な一日をつくらうね おやすみなさい』                            父は関係をよくする努力をしているが、母はどうだったのか。

メモ書きしてある紙片の裏を見たら、前年の結婚式の仕出し料理の領収書だった。偶然なのだろうけど、ひどい皮肉だ。裏と表を見返して、母は泣いたかもしれない。

*御料理 17人前 8500- 折紙8ケ120- 合計8,600円 昭和26年11月17日中島町 魚初

                             

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