5月7日

①はじめに

日記は気分。書きたいときに書くため、ほぼ日の日記帳はあまり埋まらない。
ランダムな力の突出に近いが故だろうかね。
GWはあと1日。今年はもともとお休みの日がきれいにかぶった。その分給料はないけど、先月130Hほど出たのでそのくらいは休ませてくれ。(比:いつもは90~100H)

②MBTI

最近MBTIやってくれ~と頼まれる瞬間があり、5年ぶりくらいに解答した。割とこの5~7年の間(大学卒業して、専門学校卒業して、現在)にいろいろあったので変わってるかと思ったけど、全然そんなことはなくINTJのまま。
あんまり計画性はない気もするんだけど、正直よくわからない。科学的な証明がないものは話半分で聴くことにしている(職業柄)。

そもそも、この性格診断はたった16個のタイプに当てはめて押し込んでいく(さらに枝葉はあるみたいだが、割愛)やり方だから、結局何億人いようが16の個性に当てはめている時点で簡易的なカテゴリ化にすぎない。最近SNSでやたら流行っている理由はよくわからず。

かつて大学時代とかもそうだったけど、「カテゴリ」っていう言葉に安心感を覚えるのだろうか。「どれにも当てはまらない」ではなく「どれかしらに当てはまる」という大前提が疎外感をなくしているのだろう。私はどれでもなくてもいいのだが。(中二病患者のため)
時代は輪廻する。「誰でもない私」と「誰かと似通った私」が乱立する世間を、「多様性」が席巻する。

③Individual

多様性の押しつけは今に始まったことではないのだけれど、最近はいろんな人がかいつまんでジェンダー用語を使っている状態はまあまあよく見る。だから歌舞伎町お手洗い問題とかそういう致命的なものも散見されるのだろうが。

私の母校、ひいては専攻ではまず乗り越える壁が一つあった。
「恥を覚えずに、Sexという単語を使えるかどうか」、それだけなのだが。もちろんお年頃の女性(まぎれもなく「女」性です この場合は)たちが社会学、しかもジェンダー論を学ぶにはそのくらいの壁があるというわけですけども。言えずにジェンダーから離れる人もいます(後述:引用)。

生物学的性と文化的性の大きな違いはたった一つだけだと認識しています。選択できるかできないか。後者には個人に選択権限があり、Human Rights(:人権)が付随しているのが最近の流れです。
ただし、個人的には生物学的性{Sex(物理的力)}と文化的性{Gender(思想的力)}はあくまでもバランスが必要で、なおかつ前者が比較的重量大き目の方がお互いに過ごしやすいだろうと私は思っています。なぜなら生物学的性はコモン―人類発展の祖であるからであって、文化的性がそこに入るには、老人会に赤子が参戦して喋るくらい違和感があることです。

いやいやしかし、そういった行為が生まれていることも事実です。「多様性を認める社会に」という抽象的な文言をきっかけに、今やHuman Rightsの一人歩き。そうじゃなくてね、と言いたいのが上のtweetです。これは私。
当然のように「権利」を求めてしまうと上のバランスが崩れるわけですね。今は文化的性の天秤が沈み始めています。行政と司法の後押しもあり、これが地面に触れるのも時間の問題です。

そもそも「多様性」は男性>女性を主張することではないです。ジェンダーはあくまでもIndevidualを主張することです。そこを履き違えている人はまあまあ見るかも。フェミニズムとジェンダーは非常に似通っているので、そう思う人も多いのかも。あくまで個人的見解ですが、男性=女性とは言わなくても、男性≒女性くらいにしたいなというのがフェミニズムで、女性>男性にすることでも、男性>女性にすることでもありません。
昨今男性の行為だけでなく女性の行為も批判されることもあります。そういうことです。女性だけが生きやすいってことじゃなくて、男性も女性も生きやすくしましょうね、というのがフェミニズムだと思っています(個人的見解)。

そもそもそこを混同してる時点で多様性を語るなよって思うような人もたくさんいます。いろんなことをつまみ食いして生きてきたんか?って思うような人も多いです。SNSの弊害の1つ。短い時間ですべてを伝えること、ひいては「論」とついているものを90秒で説明できる方がよっぽどエグい。私も大学4年間やって理解しきれていないものを、90秒で理解できるわけがないじゃないですか。そういうことです。半年どころか1年はROMれ。

④まとめ

社会学は思想学。思想の分だけ違いがあり、私とは真反対のアンチフェミという人は多いです。ただ、学問としてそこに存在する限り、それが「無」となる理論はありません。
マジで。これだけはほんとに。かいつまんだ理論武装で人を傷つけるのはやめましょうね。私もかつてはやったかもしれません。ただし、学問や理論はあくまでも中立で、思想は自由です。引用は自由ですけど、中立で、どちらの味方にも付かないことを覚えておかない限り、人はいつまでも争うことになります。戦争は終わることは永遠にないと思うけど。思想の存在があるかぎりは。この話を出すと伊藤計劃『/Harmony』の話になるのでおわり。


引用(本当にわずか)

(実は指導教員の文献:私はこれを読んでジェンダーやろうと思いました 結果卒研は監視社会と人権になりました おしまい)